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2010.06.25

合掌

合掌

ボクが小学校一年生の頃、当時の恒例として、戦地の兵隊さんへ慰問文を書いて送る習わしがあった。 70年以上前の思い出である。 ボクも一生懸命書いた。 しかし、何を書いたのか、その内容は思い出せない。  が、忘れることの出来ない思い出があるのだ。 私の書いた慰問文が、たまたま同じ修学院学区から出征されていた、佐竹さんの所へ届いたらしい。 

ある夏の夜だった。 もう寝間着姿で居たボクの家の表戸を、どんどんと叩く音がした。 父が出てみると、そこに見知らぬ陸軍の兵隊さんが立ってられた。 佐竹さんであった。 この度、急に帰省することになったので、慰問文を戴いたその子供、つまりボクに、是非、会いたくなって寄せてもらったのだ、とのことであった。 佐竹さんは急いでられる様子で、家に上がってもらえず、玄関口で、父と母とボクと何分かお話ししただけだった。 が、その時、佐竹さんが、ボクからの慰問文を受け取って、本当に嬉しかった。 一言それを言いたくて、夜分だったが寄せてもらったのです、とのことであった。 帰られるとき、じっと、長い敬礼をして去られた。

当時は日支事変の始まった頃だった。 それから暫くして、私の家の墓のある同じ墓地の中に、四角錐型に星印のついた、背の高い墓標が立てられた。 佐竹伍長の墓碑であった。   合掌。

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2010.06.23

突発性瀕脈

突発性瀕脈

6月22日、突発性瀕脈に襲われた。 原因、動機は解らない。 ただこの日、異常に蒸し暑い日であった。 午前中所用で外出し、駅前のホテルで、ランチを摂った。 屋内は勿論、地下鉄内も冷房は効かされていた。 ただこの日は、午前中に会合があるので、恒例の利尿剤フロセミド30mg の服用は中止していた。 何か会合があるときは、1日だけ、フロセミドの服用を中止することは、これまでにも屡々あった。 

外出中は、高齢者並みに普通に行動し、帰宅したのが午後2時半であった。 ただ屋外は、異常に蒸し暑く歩きにくかった。 帰宅後、家の内部にもエアコンを作動させ、一服するべく、畳の上に、ごろんとした途端、突然、息苦しくなり、動悸が激しくなり、血圧が上昇した。 とても、横臥できる状態でなくなった。  血圧:160/90、脈拍:110   暫く静座していたが、一向に改善しない。

かなりの以前であったが、こんな事もあったので、その時の先例に倣い、先ずは、降圧剤、プロブレス8mg を服用した(3.45pm)。 私の場合、心臓内部に、二つの人工弁が装着されており、ここを、血液が通過するたびに、人工弁により機械的に、赤血球が破壊される。 瀕脈はその破壊頻度を高めることになるので、早急に瀕脈を抑制しなければならない。 さもなくば又、貧血状態となり、心不全となり、肺水腫となるのだ。

との観点から、(4.20pm) 抗瀕脈剤 ハジメ錠25mg を服用した。 薬は服用してから、早くて、30分、普通は1時間後ぐらいから効き出すものである。 じっとその間、待つしか仕方ない。 待つことは不安を増幅させる。 それで又、精神安定剤セバゾン2mg をも服用した。 既に時刻は夕方であったが、もし肺に水が溜まっているようだったらとの危惧から、思い切って、この時間帯ではあったが、夜中の頻尿も覚悟して、利尿剤フロセミド30mgも服用した。 自分的にはこれ以上の医療処置は出来はしない。   後は神頼みである。

6時頃になって、動悸が治まってきた。 薬が効き出したのだ。 ただ食欲は全くない。口渇が激しい。 bp: 126/60 脈拍:75 このまま傾斜ベットで休息する。 
妻が作ってくれた「キュウリもみ」が美味しいので、7時に、少しだけ、食事した。 甘夏かんも食べた。 酸っぱいものが美味しいのだ。

10.00pm bp:104/46 脈拍:67 見かけ上、瀕脈、高血圧症状は消失し先ずは一安心した。
就眠時、睡眠導入剤、レンデムを服用したらすぐに眠れた。 夜中トイレは4回であった。
 
翌朝、血圧計はなんと 94/46 脈拍:67 であった。 この日は休息日とすることにした。 降圧利尿剤ラシックス 40mg を朝食後服用した。 利尿剤が効いてないときの尿は褐色であるが、発効したときの尿の色は、無色に近い淡黄色となるのでよく解る。 

発熱はなかったが、ある種の老人性熱中症だったのかも知れない。 蒸し暑い日には注意しよう。

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2010.06.19

梅雨の候

Planter_art1

(写真は 林 伸行 氏より; 梅雨時の art である)

梅雨の候

梅雨の真っ最中である。 雨の中 近所を歩くと、確かに、梅の実があちこちに転がっている。 天気予報では、今日も日本中、雨、所によっては豪雨になるらしい。 さいわい、京都のこの付近では、豪雨らしきものは今のところ無い。 21日にもなると,もう夏至である。 梅雨明けの今年の猛暑が、病身には堪えるのだ。 冬眠ならぬ「夏眠」を装ってじっと耐えねばなるまい。

それにしても、今の我が国の世相というか、ニュース番組、テレビ番組はまるで、狂想曲である。 内外の問題が山積している中、国会は休み、参議院選挙がある。 選挙に人を集めようとしても、毎日、昼も夜もFIFA、サッカーの話ばかりである。 今晩、日本チームが強敵オランダと対戦する。 誰しも、これは気になることだ。 私も多分、テレビにかぶりつきになるだろう。 

大相撲界での野球賭博問題が、何故かしらこの期に及んで、急に社会問題になってしまった。 元凶は大関 琴光喜が賭博に関して、暴力団から脅迫されて、どうしようもなくなったことにあるらしい。 あの世界では賭博行為は、大なり小なり昔からやられてきたことだろうし、それ自体は、一種の社会悪的娯楽として、一般的にも目くじら立てることではない。 が、今回は、国技たる大相撲界が暴力団と関係していた、とのことで、こんなにも騒がしくなっているのだろう。 とにかく速く収拾して欲しいと思う。

公認のJリーグ「サッカーくじ」があるのだから、政府も公認の「プロ野球くじ」とか、それこそ「大相撲くじ」とかを作って、国庫の財源にしたら如何なものだろう?! 

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2010.06.17

クレーム

クレーム

今年は平城京遷都 1,300年と言うことで、奈良市を中心として、遷都の記念イベントが大賑わいである。 嬉しく、お目出度いことである。 これまでの情報によれば、来場者数は既に、百万人を超えたという。 従って、平城宮跡のイベント会場に新しく造られた「大極殿正殿」、「平城宮歴史館」、「遣唐使船復元」などに入場するのに、長蛇の列が出来ているそうだ。

こんな時、名T観光サービスから「老人クラブの皆様へ」と言うチラシで、平安遷都1300年祭日帰りツアーの勧誘があった。 チラシによれば、添乗員同行とも書いてある。 当然、イベント会場では添乗員の旗のもと、長蛇の列に並ぶことなく優先的に、入場できるものと思い、参加を申し込んだ。 同じ現象を以前に、京都博物館で、見てきたからである。 あの時、2時間待ちの最後尾に並んでいた私達の前を、さる観光バスからのお客達が、添乗員の旗のもと、団体専用入り口から当然の如く入場されていったのだった。 

しかるに、名T観光から次ぎに配布されてきた連絡用チラシを見ると、なんと、
平安遷都1300年祭のメイン会場の「
平城宮跡会場」では、自由見学となります。
尚、現在平城宮歴史館は大変混雑し整理券での入場となりますが、約2~3時間待ちの状況です。 つきましては入場できない可能性が高いので、各自自由見学とし、・・・。 
と最初の添乗員同行の宣伝を、この期に及んで、一方的に撤回し、老人クラブの老人達に勝手に何処へなりと行って下さい。 添乗員は知りませんと言うことらしい。 と、言うことが解った。 

平城宮跡地は広大であることは知っているので、これは無茶であると思った。 無責任にもほどがある、と思った。 相手が元気な中・高校生ならともかく、老人クラブの老人達である。 その配慮が全く成されていない。 高齢者を馬鹿にしている。 もっと直言すれば、高齢者を相手にした詐欺的ツアーではないか、と思った。

私は現実に、後期高齢者であり、とても、あの広大な平城宮跡地を2~3時間、並ぶ元気もなく、さまよう体力もない。 ので、参加を中止した。  

そして 以後、名T観光サービスの如何なるイベントにも参加するまい、と自省したのであった。

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(返信)

 落合 英夫様

  
  この度は、貴重なご意見をいただき、誠に有難うございました。

  落合様からご指摘いただきました内容につきましては、本社より
京滋支店責任者にお伝えさせていただき、商品造成時に十分注意する
 よう指示させていただきました。

  募集ツアーにおいてはその募集パンフレットの表示の仕方について
 一層の注意を図り、お客様に誤解を与えないようにしなければならない
 のは当然です。

  今回ツアーでは平城遷都1300年祭のイベントとして「薬師寺の山田
 管主 の法話と特別拝観」を主な目的としたツアーで、「平城宮跡会場」の
 各施設に ついては3時間の自由行動で、ご覧いただくかどうかはお客様
 の自由意思にお任せする ツアーと理解させていただいておりますが、より
 明確な表現で誤解がないように 表示をしなければななかったことに対しては、
 落合様には深くお詫び申上げる 次第でございます。

   お寄せいただきました語意見・ご指摘に感謝を申上しげ、なお一層、
 旅行サービスの向上に努めて参る所存ですので、何卒ご賢察たまわります
 ようお願い申し上げます。

 末筆ながら落合様の益々のご健勝をお祈り申上げます。

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  名T観光サービス株式会社
  お客様相談室

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(追記) なお、参加申し金は後日、返還されてきた。 

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2010.06.08

孤高

孤高

映画「孤高のメス」を見てきた。 自分もこれまでに、何度も開胸手術を受けている身だから、映画の中での開腹手術場面は、迫真的であり、感動的であった。 目の前に苦しむ患者のためにこそ、全力を尽くす外科医の、荘厳なまでに貴い信念と外科技術、そしてそれをバックアップするチームの献身的な、これまた強い信念の尊さに、つい涙してしまった。
私も、あの様な信念を持ち合わせた、先生方のお蔭でこそ、今ここにこうして生きておれるのだ、と思うとあらためて、厚い感謝と深い感動を覚えたのだった。

映画自体はドラマであり、いわゆる日本の医学会の実状を、具現しているものでは勿論、無いであろうが、患者の立場からこの映画を見ていると、手術を受ける際の絶対的な必要条件は、信頼できる医者を自分で選ぶことに尽きる。 内科でも、外科でも、どこでも医者の誤診ほど恐ろしいものはない。 セカンド・オピニオンが必要である。 

映画の中のストーリーでは、脳死した青年(ドナー)からの、成人(レシピアント)への肝臓移植が主題であった。 ストリーの詳細は勿論ここでは記述しないが、映画の観客の一人として、又、実際自分自身、心臓に人工弁を内蔵しているものとして、レシピアントは、爾後の人生を丁寧に生きること、生き抜くことがお世話になった人達への恩返しであり、義務であろう、と思った。  

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2010.06.04

水無月の夜

水無月の夜

近くの田圃に水が張られ、稲苗の植え付けも終わった今の季節には、夜ともなると、そしてとりわけ、雨が近い気配があると、蛙の合唱が始まる。 懐かしく楽しい合唱である。 ただ矢張り、昔に較べると、合唱団の員数が少ないようである。 昔は、合唱が喧しいくらいだったが、今はBGMの感覚である。 窓を開けて寝るとよい。

昨晩は就寝後、寝床の中で、「ほととぎす」の囀鳴を聞いた。 例の「テッペンハゲタカ」である。 昔はフクロウの鳴き声もよく聞こえたものだが、これは消えてしまった。 
時折、国道を暴走族もどきが爆音を立てて走るからかも知れない。 それに救急車も多い。 救急車の職員の方達、本当に、ひっきりなしだから、本当に御苦労様と言う気持ちである。 

一方話は変わるが、今の時期、日本の政界事情は、これ又賑々しい。 とうとうというか、矢っ張りというか、社民党の叛乱に遭遇して、小鳩体制は崩壊した。 その経過、などなどについての政治討論会、いわゆる政治評論家達の評論発言も又、賑々しい。 
我々庶民の立場から見、聞いていると、結構面白いやりとりがあるので、私もよくそのテレビ番組を見ている。 この先、どう展開していくのか、想像も出来ない。 が、どうも悲観的な面が多そうである。

おもろうて やがて悲しき テレビかな  (ほのぼの)

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2010.06.02

Railways

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(山陰 出雲の銘刹 鰐淵寺)

Railways

6月1日、京都Movixへ映画、「Railways」を見に行ってきた。 嘗て我々が住んでいた松江市から出雲大社までの宍道湖湖北を走る、いわゆる一畑電鉄を舞台とした映画である。 中井貴一演ずる超エリートの取締役候補が、同僚をリストラし、その同僚の死がきっかけとなったのか、折しもふるさとの母が急病で倒れたので、出雲に帰郷した時、自分が本当にしたかったものに目覚めて、一畑電鉄の運転手になるという、そのストリーも佳かった。 

が、何よりも私達にとって、嬉しく、なつかしく、感動的であったのは、スクリーンの大画面イッパイに広がる、宍道湖の情景(1)、湖北北山の山並み(2)、沿線に広がるレンゲ畑(3)、そして風に波打つ稲田の情景(4)などなどであった。

宍道湖 湖北の山にはよく登った。 うちの子供達二人が、まだ小学生、中校生の頃、研究室の全員、元気な学生達、当時まだ元気でアイドルだった、原さんもまじえて、一畑電鉄のとある田舎の駅(秋鹿 あいか)に降り立って、全員で、湖北の朝日山(342m)に登った。 
折しも若葉の時期だったが、山麓の、大きな田舎家の庭の、柿の新葉が、蛍光を発しているかのように美しく輝いて見えたのを見て、皆で感動したことがあった。 頂上での手弁当はうまかった。 頂上から東には遙かに松江市が見え、南に宍道湖の広がりが見え、北に広大な日本海が見下ろせた。 当然、全員で、ここより、日本海を目指して下りようと言うことになり、珍しい名前の、恵曇(えとも)の港町へと下った。 恵曇海岸の砂浜で、息子と相撲をしたのも、懐かしい思い出である。

今ひとつ矢張り、北山を横断して日本海側へと下った忘れ得ぬ思い出がある。 出雲平野に、緑の稲田が、風にそよぐ時節だった。 一畑電鉄の田舎の駅、川戸に妻と娘と私の3人(だけ)が降り立ち、国土地理院の地図の点線を頼りに、山越えで、日本海側に位置する名刹 「鰐淵寺」 まで歩いのだった。 途中道が消えて、ブッシュ漕ぎの状態の所もあったが、稜線近くまで来たとき、何と終戦後の開拓村、それが今や完全な廃村になってしまっている所に出て、驚いたことがある。 なんとか無事に、鰐淵寺(がくえんじ)にたどり着き、無事の山越えのお礼参りをした。 今にして思えば、あの時期、まむしに噛まれもせず、スズメバチにも襲われず、又、北山で出没する 月の輪熊 にも遭遇せずに済んだものと、あの時の無事を感謝している。 その山並みが、映画の大画面に出たのだった。 懐かしい、思い出の出雲の北山である。

宍道湖の情景に関する思い出は、枚挙に尽くせないほどである。 ので、ここでもその二つだけを述べよう。
松江市の東南の外れ、出雲郷(あだかえ)近くの古墳あとに、「風土記の丘」 と言う立派な公園がある。 子供達が二人とも巣立った後、妻と二人して、風土記の丘資料館を見学した後、遠い道のりだったが、橋南の街並みを歩きに歩いて、宍道湖畔に出たことがあった。 その時の宍道湖に映える夕焼けの美しかったこと、筆舌に尽くせないものだった。 宍道湖の夕焼けは、とりわけ秋が美しい。 誰しも一見の価値がある(拙ホームページ sunset1参照)。 またそのときのBGMとしては、やはり此のブログでも以前に紹介した「宍道湖周航歌」がピッタリである。  その一節を再掲する。

 ♪♪ 君は瞳に涙して 我より去りぬ宍道湖の

     岸辺に立てば 夕映えは夕映えは

     今 くれないに燃え立ちて 燃え立ちて ♪♪

Yomegashima

(雨の宍道湖 湖中の島は 嫁が島)

今ひとつ私は宍道湖に感謝すべきことがある。 私の島根大学での定年も近くなった頃、当時のこととて宍道湖でよく、水質汚染のシグナルとされた「アオコ」が発生した。 アオコは世界的にも有名な環境汚染生物である。

私と修士学生の神吉君とは、アオコの出現を知ると、何時もすぐに宍道駅近くの湖畔まで車で走り、そのアオコを採集した。 アオコは有毒な藍藻とされているが、歴とした原核生物である。 私達は、それを培養し、その遺伝子を研究し、プラスミドDNAが2種類あることを発見した。 さらにその全塩基配列を決定し、報告した。  そのプラスミドをヴェクターとして、巧く利用すれば、アオコの発生を制御できるかも知れない、と言う壮大な夢のある計画であったのである。 
私の定年後、アオコがどうなったのか、私は知らない。

Railwaysは、いろいろと懐かしい思い出を、イッパイ イッパイ 思い出させてくれた素晴らしい映画だった。  

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