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2010.01.30

ガンジー

ガンジー

ガンジーの言葉に「七つの社会的大罪」がある、と言うことを鳩山首相の施政方針演説で知った。 曰く 理念無き政治 
            労働無き富 
            良心無き快楽 
            人格無き教育 
            道徳無き商業 
            人間性無き科学 
            犠牲無き宗教
鳩山首相はこの言葉を述べて、今我が国が求められているのは、これらの理念である、と強調した。 これはよい、よいが国民の多くは、彼が堂々と、「労働無き富」を挙げたことに全くのところ、失笑した、に違いない。

首相は、毎月彼の母親から、1,500万円、従って、一年間には、一億8千万円の仕送りをしてもらっていながら、御本人の言うことには、その事実を全く知らなかった、と言い通しているのである。 それも一年間だけに留まらず、数年間に亘っての期間であるという。

こんな事は、世界中の誰だって、可怪しいと、嘘でしょうと思うことである。 これを国会の場でもシャーシャーと喋っているのだから、正に笑止である。 正にガンジーの言う大罪である。

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2010.01.25

老櫻

老櫻

修学院離宮 中離宮は、別名 林丘寺 と言われる尼寺である。 昔、と言ってもかれこれもう70年以上前の事だが、この林丘寺の裏門の前には、一寸した広場があって、前の音羽川に懸かっている木の橋を渡って、誰でも遊びに行けた。 橋のたもとには、若い桜の樹があった。 

私が小学生一年生の頃、山端地区と修学院地区の、一年生男子で、当時大流行だった 三角ベースの試合をすることになった。 夏休み前だっと思う。 

当時、夏には、甲子園での全国の中学校野球が盛んであり、京都からは、或いは平安中学、或いは京都商業などが出場して、京都の特に若い連中を熱狂させていた。 平安中学と、和歌山の海草中学との決勝戦のラジヲ放送のことは今でも覚えている。。

70年前の我々の三角ベースの試合は、正式に審判も立てて賑やかに行われた。 頼んだ審判は3年上の野球のルールに詳しい先輩である。 我々山端チームのピッチャーは音川 孝君であり、私はキャッチャーであった。 試合は予想を覆して、山端チームの打線が爆発し、3回までに10点差が付いてしまった。 この時、審判は、ルールがあると言って、コールドゲームを宣告し、試合はあっけなく終わってしまった。 が、この思い出は強烈で、今でもあの頃の雰囲気を思い出すことが出来る。

70年後の今、私は音羽川畔をよく散歩する。 今では林丘寺の周辺は金網で囲われ、裏の広場への木の橋は外されてしまっている。 が、昔 橋のたもとにあって桜の樹は、老櫻となって今でもその場所に立っている。 70年の間にさすがに、老櫻はあちらこちらの枝が折れ、幹も痛んでいるが、春になると、花を咲かせ、風が吹くとその花びらを音羽川の上に乱舞させてくれている。 

私は、散歩の途中、その老櫻の前を通るときには、幹をなで、幹を叩いて、今年もお互い頑張ろうな、と声を掛けている。 

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2010.01.21

大寒と

大寒と

昨日の大寒は、全国的に温暖で、4月並みを通り越して、5月並みと言うところもあったらしい。 寒い毎日の続く中、1日2日こんな日があると、誰しもメンタル的にホットするらしく、気分はよい。 気分がよいと、駄洒落川柳の一つも自然と出来てくる。

息切って 走ったバス停 回送車        (ほのぼの)

こんな時、気分を害するのは、パソコンの動作が重すぎ、遅すぎることである。 余りにも遅いので、新聞を読んだり、文庫本を読んだりして、パソコンが立ち上がり、作動するのを待っている。 
こちら光輝高齢者(幸喜高齢者とも言う)だから、時間に追われることもないのだけれど、元来、人様との待ち合わせでも、相手が男性ならば、許容時間5分、相手が女性でも、10分以上は待たないと言う性格だから、パソコンに長時間待たされると、殴りつけたくなってしまう。 まさかパソコンを殴るわけにもいかないから、その机を殴りつけてしまうのだ。 それで、パソコンが言うことを聞いてくれればいいが、そんな風にはいかない。 自分のコブシが内出血するのが落ちである。

動かねば 動くまで待とう 吾がパソコン

(陰の声:今のセキュリティが厳しすぎるのだから、それを解除したらよい)

明日から又、寒くなるそうだ。 早咲きの紅梅や、椿花に、積もる白雪,綿帽子の情景が見られることだろう。

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2010.01.11

1.11

1.11

今日は1月11日、たまたま「成人の日」言うことで、ホリデーであり、なかなか正月気分が抜けきれない。 もっとも、光輝高齢者の我々にとっては、毎日がサンデーであり、毎日が正月みたいなものであるのだが。

一昨日NHKテレビ、「二本の樹」のドラマがあった。 ドラマというより、片岡仁左衛門と竹下景子の語りによる、ドキュメンタリー番組で、その内容は、語り部達さえ涙する胸を打つものであった。 内容的に、今我々二人が置かれている「老々介護」状況と相似すするものがあり、(我々は幸いなことにドキュメンタリーの主人公のような癌ではないが)ドラマの一場面一場面、語りの一言一句が身近に真に迫るものであった。 実に感動的なドラマであった。

それにしても、今の医学界の常識は、患者が断末魔に苦しみぬくまで、患者やその家族が如何に望んでも、「24時間睡眠」という、安楽死処置を施さないその薄情さには、正直な所、恐怖さえも感じてしまった。

私も私の妻も数年前から、会員数12万余を有する「日本尊厳死協会」の正会員となっており、「健やかに生き、安らかに逝く」ことを常々願っているものである。 日本尊厳死協会はこの四月からは、正式に「一般社団法人」となり、既に5年も前に衆参両院に尊厳死の法制化について請願してきている。 が、国会のゴタゴタで、事は進展していない。 アメリカやヨーロッパの多くの国や州では、既に法制化しているにもかかわらずである。 

日本の国会は、終末医療の法制化について、そして日本の医学界は「安らかに逝く」ことについて、緊急に配慮すべきである。

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2010.01.05

竜馬と都々逸

竜馬と都々逸

今頃になって、「竜馬がゆく」を読んでいる。 司馬遼太郎の数ある著書の中で、これだけが未読として残してあった。 折しもNHKの大河ドラマ「龍馬伝」が始まったことが、そして今ひとつ、自分の存命中にはと言うこれまでの思いが、重なったからである。

小説を読み進める内に、面白い発見があった。 竜馬による創作都々逸である。 薩摩藩武士同士による悲劇的な「寺田屋騒動」の翌日、弔意を表しに現場を訪れた竜馬が、線香やお経をあげる代わりに、即興で弔歌を自作し霊前で吟じたのである。

咲いた櫻に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る

何をくよくよ 川端柳 水の流れを 見て暮らす

この弔詞は、「三・四、 四・三、 三・四、五」の正調都々逸である。 
この都々逸の意味するところは、文春文庫 「竜馬がゆく」第三巻 寺田屋騒動の項に記載されているのでここでは述べないが、その意味するところは深く重たい。

粋な竜馬の教養が理解できる。  

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2010.01.01

謹賀新年

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