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2009.06.26

梅雨の晴れ間

Tsuyug

梅雨の最中、一瞬雨が上がり、日が射しだした。 陽射しはさすがに強くて、濡れていた展望台のボードから、 一斉に湯気が立ち上がった。 そして、一瞬のうちにその蒸散は終わってしまった。 6月24日のことである。 川辺では、河鹿が鳴き、 森の中からは、キジの鳴き声が聞こえてきた。 雨に濡れた新緑の楓が、ただただ美しかった。  (写真はいずれもクリックすれば拡大されます)

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2009.06.21

夏至

夏至

Mukashi_a2

今日は夏至とある。 夏至の頃は、紫陽花が美しい。 夜は蛍が魅惑的である。 古人もそれを語っている。

庭の紫陽花のよひらに置ける露に、夕月夜のほのかに宿れるなどはいみじく捨て難く見ゆる。  
(藤原俊成「古来風体抄」 下)

夏はよる。 月の頃はさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。 また、ただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし。
(清少納言 「枕草子」 一段)

今の時期、また、山梔子(くちなし)の香りが素晴らしい。 思わず身を寄せてその香りを胸一杯に吸い込んでいる。

くちなしの 今日も元気だ 朝の道 (英夫)

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2009.06.19

昔の旅の物語

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(写真は昭和28年当時の国策パルプ旭川工場)

今を去る56年前、大学4回生の夏、夏休み期間を利用して、北海道の旭川にある「国策パルプ工場」に実習に出掛けた。  昭和28年(1953年)のことであった。 期間は8月イッパイである。 我々3人(石田、伊東、落合)にとっても、北海道は始めての経験であった。 実習期間中は、工場近辺の寮(旭誠寮)に宿泊し、食費等は工場が負担してくれたが、勿論、日当などの支給はない。 同じ学科の大先輩が、当時、工場長をされておられたし、又、今一人の先輩は生産ラインの課長をしてられたので、勝手に心強く思っていた。

当時、大阪発青森着に23時間59分を要する急行「日本海」に乗り、車中では専ら3人で携帯用の囲碁をして時を過ごした。 青函連絡船に乗り、札幌経由、工場のある新旭川駅に下車するまで、長い長い、が、楽しい楽しい旅であった。 見るもの、聞くもの、全て新しい発見であり、感動であったからである。

寮には、ピリカメノコが居て、我々の世話をしてくれた。 工場実習では、我々3人は、研究科に配属され、例えばクラフト紙の製造、品質の解析方法などを教えてもらった。 研究室の人達は仲田課長始め皆、いい人ばかりであったし、大先輩、中先輩も家族ぐるみで、いろいろとお世話いただいた。

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(狩勝峠を踏破した。 後方は十勝平野  1953.08.23.)

我々は、勿論毎週の日曜日には、出来るだけ、多くの北海道を経験しようと、あちこちに出掛けていった。 白老のアイヌ部落を探訪した。 狩勝峠を歩いて越えた。 岩見沢の熊祭りを見た。 お盆休みには、工場の山岳会の人達と、大雪山連峰、旭岳を縦断した。 その時、私は旭岳登坂中歩けなくなり、朋友石田に助けてもらった。 ヒグマが居るので、落伍は許されず、絶対に必ず団体行動をしなければならないのだ。

(下の写真は霊峰 旭岳:当時の写真の説明書きは昔風の右書き出しとなっている) 

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(大雪山連峰踏破 山頂は霧だった 写真は北鎮より旧噴火口に着き、噴火口(お鉢平)の美を眺めている一行である。  1953.08.16)

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(写真は旧噴火口より黒岳に至る高原(雲平)のお花畑)

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(写真は急坂の黒岳を下る一行 マネキ岩と遠景) 

実習期間が終わり、京都に帰る前に、北海道東部を旅する計画を立てた。 幸いにも標茶(しべちゃ)に京大の演習林があったので、一晩そこに泊めていただくことにした。 室蘭近郊の勇払(ゆうふつ)には国策パルプの別工場があったので、そこでも一晩泊めていただくことにして、それぞれ前もって、連絡しお願いしたのだった。 標茶の演習林は広大だったが、標茶の駅まで、演習林の職員の方が車で迎えに来ていただいて感激した。

先日、机の引き出しを整理していたら、当時の摩周湖の絵はがきが出てきて、その絵はがき10枚の、一枚一枚の裏面に、日記風にその時の旅行記が書かれているのを再発見した。 旅はバスと鈍行の汽車を利用している。 以下に原文に従って、その「昔の旅の物語」を掲載する。

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(懐かしい言葉、総天然色と書かれている)

昔の旅の物語    (1953.8.31)

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(美幌峠より屈斜路湖を見下ろす 当時の絵はがきです)

屈斜路湖の峠、美幌峠よりの景色は素晴らしい。 バスが発車する直前になって、何かが閃き、湖に向かって左の岡に走り登って、可愛いい白い花を摘む。 何か心の記念が欲しかったのだ、と思う。 美幌峠から湖に向かって下ると、湖の景色も変わっていくが、先ずは周りの樹木の育ちぶりが旺盛に変わっていく。 まるで密林のような雰囲気になる。 その木立の間からちらちらと静かな湖面が、そしてその渚が見える。 この静かな湖面が見える道路に、警察予備隊、いや今は晴れて陸上自衛隊の人達が行軍してくるのと出会った。 自衛隊の人達は皆、汗びっしょりだった。   自分の陸幼時代の行軍のことを思い出す。 ほんの10年ほど前のことだった。

バスが和琴半島に着いた。 半島の右側の湖面は波立っていたが、 左側は静かだった。 半島の先端まで歩くと15分はかかるというのに、バスの休憩は5分だったから、仕方なくその辺りを散策し、記念に、屈斜路湖に向かって小便をしてきた。 放尿しながら見返した美幌峠の辺りが懐かしく、美しく見渡せた。 バスに同乗していた早稲田の連中は、土産物店で、ゆで卵をイッパイ食べていたが、我々はゲル貧なので、お茶だけで辛抱した。   記念のスタンプを押して、持参のキャラメルを食った。 空は絶好の快晴となっていた。

5分停車の後さらにバスで、上流に雄滝、雌瀧があるという小川を渡り、白樺林の中のアイヌ部落を突っ走る。 バスから見る部落は、実際質素な家ばかりであった。 白樺の木立の間から、今も屈斜路湖、美幌峠、モコト山が美しく見える。 道は全く原始林の中の道という感じである。 そんな中、池湯コタンがある。 ここでも5分の休憩である。 湖のすぐ傍に湯がわき出て、湖に繋がっている。 らん藻の生えた湯池があるが、5分では入浴している暇はないのが惜しまれる。 湖の水は冷たいのに、その渚の砂を掘ると、手も付けられないような湯がわき出てくる。 実に面白いところだ。 渚の白砂が美しい。

ここより屈斜路湖を離れて、森の中の川湯温泉に行く。 ここまでで乗ってきたバスは一旦終点となる。 バスの駅近くに、二軒ほどヒグマの小熊を飼っているところがあった。 一歳未満のもので、今は人なっつこい。 これでも大きくなると、恐ろしい猛獣となるそうだ。 人家の他にパチンコ屋もあったが、目下、建築中の温泉宿が多く見られる。 目立った食堂もないので、裏の畑を通って、白樺林に入り、そこで、弁当を食い、写真を撮ったりした。

次のバスの切符と番号券を買う。 川湯温泉駅をバスで離れると、すぐに又、白樺林に入る。 道路脇には小さな樹高3~5メートルの白樺が1メートルおきに植えられている。 その根元は小さな花を着けた植物でおおわれ、実に何とも言えない佳い雰囲気である。 この街は今建設中なのである。 もっと写真を撮りたいと思うが、バスの車中からでは思うようにはいかないのが残念である。

硫黄山で、バスは又5分停車、真っ白な岩肌の奇岩の山の中腹、硫黄の固まった気口より凄まじく白煙が吹き上げていて、辺りは硫黄臭い。 山肌も温かく何か薄気味悪い。 が、土温のお陰か、この辺り、毎年初夏には、お花畑となるそうである。 バスはここで反転して、再び、針葉樹の大密林の中、細い一本道を突っ走る。 真っ直ぐの道を真っ直ぐに走る、之は気持ちいい。 途中一度だけ、網走からのトラックと遭遇しただけである。 この道を黄金道路と云うそうである。

この道路を何処かのファミリーが歩いていた。 彼等は傍の小道に入って行った。 こんな原始林の中のようなところでも生活をしている人達が居るのだ。 と、思っていたら、バスはこの原始林の中で、一本の線路を横切った。 網走ー釧路線だとのことであった。
バスは原始林の中の道を登り始めた。 登るに従って、又、遙か向こうにモコト山と屈斜路湖が見えてくる。 さらに左には、雄阿寒岳が聳えたって見える。 眼下の原始林の広がり、その向こうの山波、そして目の前の針葉樹の屹立、まるでおとぎの国のような美しさ、今日は本当に快晴に恵まれて、心からこの広大な絶景に酔いしれている感じだ。 

とりわけ途中に立ち寄った双湖台からの、原始林に囲まれた二つの湖、ペンケトー(アイヌ語で上の湖)、パンケト-(下の湖)の絶景、その針葉樹林の森林美には、感動を超越するものがあった。

Penketos  

さん候、とかくするうちに、バスは摩周湖第3展望台に着いたという。 この展望台から、音に聞く摩周湖を見下ろしたとき、その更なる絶景に全身がしびれた。 神々しい景観なのだ。 北海道には、日本には、こんなにも美しいところがあるのだと、あらためて感激した。 湖面は快晴の青空の碧を映している。 丁度フェーリング溶液を還元した時のような深青色に映えているのだ。 且つ、湖面には繊細なさざ波が立ち、対岸に聳える摩周岳の奇景、湖中の小島がこれらの絶景のまたスポットをなしている。 この美しい摩周湖に、この展望台から、ザンブと飛び込みたいものとは、誰しも思うのではないだろうか。

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(昔の絵はがきです)

摩周湖や 百万石の 財をする

と言う句があるほどに、この摩周湖で、こんな快晴に恵まれることは、蓋し少ないのだと、バスの車掌は言っていた。 今日の快晴の下では、時の経つほどに、湖面の色調も、周辺の風情も微妙に変化していく様子が、ただただ美しくて場を離れられない。                                           
が、バスはそこを離れて、さらに第一展望台に向かった。 摩周湖ここでも深青色で、明るく映え、摩周岳は緑色だった。 遠い対岸、そして遙か向こうの山波は紫がかって美しい。 「山紫に水清く」そのものである。 石田ではないが、今ここにいる自分が、全く幸福の絶頂と言う感じである。

このたぐいまれな恵まれた快晴の摩周湖を去って、バスは道を下る。 再び大原始林の中の一本道を猛スピードで突っ走る。 遠い遠い一本道だった。 ただ、一回だけ、摩周湖行きのバスとすれ違った。  道路の傍に釧路林業試験場があった。 かくしてバスは弟子屈の街に出たのであった。

(1953.9.6)

バスで今度は縦断道路なるものを突っ走る。 この道はくねりくねりしながら、またまた大原始林の中を、実際には、トド松、エゾ松の林立する道である。 木立の下には、大きな大きな蕗が生い茂っている。 車掌さんの言では「大きいものでは、直径が2メートルになるものもある」とのこと、そしてこの辺りには、例のヒグマが多いとのことである。このエゾ松、トド松の大原始林では、特にそれらの老木には、お祖父さんの長い髭のような寄生植物がぶら下がっている。 サロウガセと言われ、特に霧の多いこの地帯に多いとのことである。 多くのサロウガセが、長い白い髭が、垂れ下がり風に揺れている風情は、内地では見られない、一種独特な、夢幻的な雰囲気を与えている。 

が、現実には、この寄生植物のため、エゾ松、トド松の多くが、葉も落ち枯死状態にされているとのことで、夢幻的と楽しめることではないそうである。 バスはかくして双岳台に着き、車掌の言う「男性のお尻」のような雄阿寒岳を近くに、「女性のお尻」のような雌阿寒岳の遠望を楽しめた。 とりわけ、この時、雄阿寒岳には、紫色の雲が棚引き美しかった。  雄阿寒岳の頂上付近には木立は見えない。 森林限界を超えているのだろう。

バスは阿寒に向かって走る。 十條製紙の林場がある。 雄阿寒岳の登山口近くにはそれでも、登山者のグループが居た。 この辺りの道路工事に従事していた人達が、同じバスに乗り込んできた。 この観光バスはこの辺りの唯一の交通機関でもあるのだ。 阿寒に近づくに従って、白樺林の樹間から、阿寒湖が見え隠れするようになる。 ホッケを通り、ともかくバスの阿寒駅で一旦下車した。 温泉宿と巡湖船乗り場がある。 それだけである。 湖の展望台もなければ、砂浜もないので、その温泉宿に入り、持参した米を渡して、昼飯の時間とした。 その昼飯、何と、握り飯一つだけだったのには唖然とした。 振り返ると後ろは宿屋の、総ガラス張りの温泉風呂になっていた、が、人独り入っていなかった。

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(阿寒湖: 昔の絵はがきです)

ともかく昼飯を食ってから、巡湖船で有名な阿寒の毬藻を見に行くことにした。 船が出てから、しかし、この日、波が荒いから、今日は毬藻は見られないと言いだして、仕方なく、湖内周遊と言うことになってしまった。 が、針葉樹の原始林が湖岸のすぐ際まで迫っているのは、阿寒湖ならではの景観である。 又、奥の深い洞窟があり、寒い風が吹き出してきている。
 肝心の毬藻が見られなかったのは、残念であった。 ここは実際、阿寒湖の毬藻と温泉以外には何もない。 又は、噴煙を上げている雌阿寒岳を展望し、或いは、雄阿寒岳に登り、四方を展望するのならいいだろうけど。 土産に毬藻羊羹を買った。 記念にもっといろいろ買いたかったが、ゲル貧の身、之から先が心配で目をつぶった。

ここから釧路行きのバスに乗る。 幸いにして、前の方の席に座れた、 釧路への道も最初は全く例の原始林の中を突っ走る。 ピリカネップを渡った時分から、次第に視界が広がり、お花畑のような草原が広がってくる。 そのあちこちに白樺林が点在しているのを見る、またまた感動の連続である。 この辺り戦後の開拓団の人達も多いそうである。
実際、停留所でもない道端から突然、飛び出してきてバスを止め乗車する人も少なくない。

阿寒村から釧路への道路では、辺り一面全くの葦の平原、ここに丹頂鶴が住んでいるという。 見渡せる限りの平原、内地では滅多に見られない光景で、気持ちよいものだ。 いずれはこの平原も有効利用されることだろうが。 大楽毛から釧路までの道の途中では、馬の放牧が見られた。 所々に灌木も見られて、長閑な風情である。 水田は寒冷な気候ととりわけ霧のため、先ず無理だろうと、車掌は言っていた。 

バスを釧路駅前で降りる。 帯広行きの汽車の発車まで時間があるので、メインストリートに沿って先ずは歩くことになった。 実際のところ、方向がわからないので、道行く人に海が近いのはどちらですか?と尋ね、橋を渡り教えられた方向に歩いていく。 沢山の船が見えた。 橋を渡ると、ここは東釧路だったんだ。 一寸した丘に登ると、そこは小学校だった。 火の見櫓が建っていたので、そこに登って、四方を見渡した。 さらに向こうに港が見えたので、強行軍して、臨海公園に着いた。

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しらじらと 氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の 冬の月かな

石川啄木の歌碑があった。 丁度来合わせた人に記念に写真を撮ってもらい、談じ合った。 その人は日本郵船の人で、我々が京都から来たことなど話すと、京都を懐かしがり、京都は日本の中で一番好いと、京都を誉めてくれた。 ここも歌にあるような「港が見える岡」で、子供たちがグライダーをとばしたり、大きな犬が散歩していたりした。

夕方の汽車で、我々は帯広に向かい、真夜中に帯広に着いた。 列車の終着駅である。 真夜中の帯広の町、店もなく食堂も開いてなかった。 大きな橋があったので、帯広に来た記念に、橋の欄干からその大河に向かって小便をした。 その夜は、帯広駅内で、野宿したが、寒くて寒くて、寝られたものではなかった。 翌朝一番のバスで当時の終点 様似 迄走り、ついで、汽車に乗り換えて、勇払へと向かった。 襟裳岬を通過したのは知っていたが、後は大抵居眠りをしてしまった。 惜しまれたことだった。 

  

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2009.06.09

いつもの道

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いつもの道

いつもの道をいつものように散策してきた。
山肌はすっかり深緑となり、水田の早苗の並びが美しい。
音羽川には、この時期、河鹿が涼しげに鳴いて
いる。 歓迎してくれているのだと思うと嬉しくなる。
入梅前の川の水は綺麗でさらさらと流れている。

さらさらと 流れる水や 音羽川 河鹿鳴くなる 深緑の道

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2009.06.01

吾輩は亀である

Turtle1 

吾輩は亀である

鶴は千年亀は万年と言われる。
だから亀は目出度いと、
だけれど万年とは、考えても見給え、
100世紀ですぞ。

万年、100世紀を如何に暮らすか、
如何に過ごすか、如何に生きるか、   
貴殿は考えてみたことが
おありだろうか?

俺は今朝から、こうして考えている。
Ich denke also bin Ich
「吾思う ゆえに 吾あり」
と、宣うた人があった。
が、何時まで考えていろ と言うのだろう。

万年の中の今日一日、
これだけでも大変なんだぜ
「めでたい、めでたい」と
言っている貴方が羨ましい。

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