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2009.05.28

党首討論

27日のイベント 党首討論 をウオッチした

騒がしく 党首討論 野次る人 あれも歳費と 思う悲しさ

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2009.05.27

海軍記念日

Roses2009523_001_2

海軍記念日

「敵艦見ゆとの警報に接し 連合艦隊は直ちに出動 之を撃沈滅せんとす

本日天気晴朗なれど 波高し」   (東郷平八郎)

明治38年5月27日、午後2時 今も燦然として世界史残る 日本海海戦が行われた。

この海戦の大勝利の影には、「必勝の信念は必死の訓練より生ず」の銘があった。

この銘は、軍国少年であった私の座右の銘でもあった。

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2009.05.24

男子専科(ほのぼのPSA物語)

Alium1 

何故かしら、以前にアップした「男子専科」が、現実には開けなくなっているのに、最近、気づいた。 これまでにも、重複している項目もあったので、この際、それらを整理統合し、「男子専科 (ほのぼのPSA物語)」として、ここに再アップすることにした。 以前のPSA関連項目は全て削除いたします。

男子専科 (ほのぼのPSA物語)

男子専科の症状がいよいよ現実となり、京大付属病院で診察を受けることとなった。 前立腺ガンである。 この症状は、男子70才を越えれば、有る意味では、普遍的なものであり、吃驚することはないのだが、矢張り、「ガン」となると、少しは緊張する。 またたとえガンであっても、前立腺ガンの進行速度は、遅いので、慌てることもないのだが、矢張り、それなりの心の準備というものが要るのだ。 以前に、京都国際会館で、前立腺ガンの臨床的講演会があったとき、京大病院泌尿器科教授の小川先生に質問し、得た回答では、例のPSAの値が10.0を越えたら、外来に来なさい、とのことであった。先日、八田医院での検診で、やっと(?!)今秋、そのPSAの値が、10.2となり、それではということで、京大付属病院の泌尿器科外来、賀本助教授の診断を仰ぐこととなったのである。

約束の11月2日、一番に病院に行く。 別段、一番に行く必要はなかったのだが、昨晩はさすがに、夢見が悪くて、早起きしてしまったからだ。 泌尿器科は初診だから、先ず、検尿がある。 ここの所、検血と同じコーナーなので、長蛇の列である。 検尿と、検血とは、コーナーを分ければいいと思う人は多いだろうに。 「中待合い」で待っている間、同病の人同士、話が合って、話が弾むのも、お互い、いい気分転換になる。 自分だけではないのだ、という安心感からだろう。

9時の約束が、10時になって、賀本先生ならぬ、小林 恭先生との診察となった。 小林先生、がっちりとして男性的な、且つ、仕事がテキパキしていて、好印象のもてる方である。 これまでの経過を話し、私の場合、弁置換のクランケの立場から、「細胞診は避けたいが、アナログ系の薬はいただけないものか」と、お願いしたが、『正確にガンが発見されないのに、薬だけというわけにはいかない』とのことであった。 当然かも知れない。その後、腹部エコーと前立腺の触診を受けた。 これらは、思っていたより、簡単であった。 先生の技術が優れているのである。

検査後、先生に、「やはりガンですか?」 と、先生の顔をのぞき込むようにして、訊ねたが、先生、『これだけではまだ解らない。 血液検査 PSAの値が出てから、また相談しましょう』と、言うことで、11月14日、再来院することになった。 11時、今日の診察は終わった。 この時まで、緊張で、血圧は高まっていたことであろう。 備え付けの血圧計による結果が面白い。  
10時59分  最高血圧 147  最低血圧 84        
11時01分  最高血圧 127  最低血圧 64

(2005年)

  

男子専科(その2)

12月14日、京大病院に行く。 今日は小林先生はお留守で、伊東先生と面接した。 午後1時半の予定が、実際は2時前であったから、今日は早いほうである。 先日の血液検査の結果が出ていた。 なんとPSA値が、12.6と急上昇していた。 PSA F/T比の値も11%と、予想外に低く(正常なら25%以上であるらしい)、ガンの疑いは50%以上と予想された。 

従って、これを確認するためには、矢張り、前立腺のBiopsy(生検)となるのだが、ワッファリンを35年間服用し、INR値が3.0に近い私の場合、健常人と同じようにはいかない。 先生から渡された、「前立腺生検を受けられる患者さんへ」(前立腺生検説明書)にも、ワッファリンなど抗凝固剤を服用している場合は、薬の内服を7日間以上中止して出血を予防する必要がある、と記載されている。 

即ち、この間は、入院して、ワッファリンに代えてヘパリンの点滴を受ける必要があるのだ。 けだし、ワッファリンの効果は持続性であり、ヘパリンはそうではない、からである。 しかし、この切り替えの調節は、臨床の場では相当に難しい問題である。 が、これをしっかりしておかないと、生検後、血尿が止まらなかったり、凝固血により尿管がつまったりして、重症になりかねないと言われている。 こんなそんなで、先ずは一度、心臓外科の丹原先生の御意見を聞くべし、ということになり、今度は、11月30日に、心外の外来に赴くことと相成った次第である。

一方、ものの本によると、75歳以上であれば、前立腺ガンは処置しなくてもよい、との記載もある。 前立腺のガン細胞のダブリングタイムが非常に遅く、ガンとしての進行は、いわゆる寿命に影響することはない、という根拠からである。 これは、現在、74歳3ヶ月の 私にとって、大いに関心のある意見である。 

私さえ納得すれば、危険を冒してまで、面倒な生検を受けることは止めて、従容として、天命を全うする、という選択肢でも良いのである。 私の意見は、今、そちらに傾きつつある。兎に角、専門家の御意見も聞きに、30日、再度、京大病院に行くこととなっている。

男子専科(その3)

拙、男子専科を好意的に、フォローして下さっている方々に対して、その後のいきさつを報告しておかねばなりますまい。 11月30日、心臓外科の丹原先生に会い、生検の場合には、4日前からワッファリンの服用を止めること、などなど説明を受けた。 今日、12月5日、泌尿器科の伊藤先生に会い、今後の方針について、面談した。 

私は、先に先生から渡された、「前立腺ガン説明書」のなかの記述 『 3)内分泌療法 一般に、前立腺ガンが他の臓器に転移をしている場合に選択される療法です。 転移のない前立腺ガンでも、高齢の方や、重篤な疾患の治療を行っている方に対しては、第一選択となります。 云々。』 を示して、この方法をお願いした。

が、先生は、生検をして、ガンであることを確認してから、ホルモンアナログなどによる内分泌療法は行われるべきもので、PSAの値や、他の状況的データから、単純にガンと決めつけての療法は出来ないとの、御意見である。 誠にごもっともな御意見ではある。

しかし現在、私の心臓機能は極めて順調なのであり、私としてはこの状態を、少しでも損なうことなく維持したいと思っている。 こんな時、内出血を伴う生検という処置は極力避けたい、と、思うのである。 内出血による血腫や血栓により、人工弁の機能が物理的に阻害されることを避けたいからである。 ちなみに一般健常者の場合だと、生検に要する時間は、普通半時間以内である。 その日の内に帰宅することも出来るらしい。 

が、ワッファリンを服用している私の場合、ワッファリンからヘパリンへの切り替え、そして生検を終えてからは、また、ヘパリンからワッファリンへの切り替えの調整を見なければならない。 ので、半時間の生検に要する入院期間は、生検当日を挟んで、約10日を要するであろうとのことであった。 それでいて、生検の結果が、幸か不幸か陰性であったなら、・・・、PSA値を抑えるための内分泌療法は、やはり採用出来ないこととなる・・・、?!。 何のための入院だったか、と云うことになるであろう。 

などなど、先生との面談の中から出た、 結論は国会審議ではないが、「生検の先送り」となった。 つまり、まだPSAの値が12.6では、まだまだガンとは言えないので、今後暫くその値の推移を追跡し、PSA値が20を越える様なときには、今一度、相談しましょうと云うことになった、のである。 

さてさて、PSAさんよ、お静かにお静かに!!

(その4)

それにしても、この寒さ、弥生3月末日というのに、粉雪が舞い、比叡山は積雪に白く輝いている。 風が又、殊の外冷たく、強く、梅はともかく、桜も、木瓜も、杏の花も柳の新芽も、すっかり、震え上がっている感じだ。 この日、先日の検査結果を訊きに、八田医院へ出掛けた。 以前に、京大病院で、例の前立腺ガンに関するPSAの値が、
2005-11-02    12.6  
2006-01-12    12.5  と、なっていて、この値が、20.0を越えるまでは、生検は受けない、と、医師の了解も得て、過ごしてきた。 が、

ただ漫然と過ごすよりは、自分に実験を課することにした。 実験として、嘗てノーベル化学賞を受けた、アメリカのポーリング博士が、提唱していたことだが、”ビタミンCを過剰摂取すれば、ガンの増殖が抑えられる” との説を確かめることにしたのである。

「シナール」という錠剤がある。 パントテン酸が欠乏したとき、或いは代謝障害時に用いる薬である。 内容的にはビタミンCであり、ビタミンC欠乏による出血や皮膚色素沈着などの薬とされている。 以前に、私が、内出血が頻発して困ったとき、医師から供与されたものである。

これが、幸いにして、過剰に残っていたので、毎日のように、服用してきた。 そして、今日、先日 2006-03-17 に調べたPSAの結果が出ていた。 なんと、驚くべし、PSA値は、 9.5 にまで低下していたのであった。 ガン細胞は消えつつある、と思われるのでないだろうか?!

次に京大病院で行う検査の日は、2006-06-07 である。 さらに実験を継続しよう。 この日が楽しみである。

ちなみに今日は、大安 であった。   

(その5)

K大兄へ;  平成18年6月27日

いつもPSAの件御配慮いただき有り難う御座います。 昨日、京大泌尿器科の外来で、結果を訊いてきました。6月7日の検査結果は、PSA値 11.0   F/T比   ということで、少なくとも進行はしていない、という結果でした。 だから、生検もまだしない、という結論になりました。

シナール錠剤の効果は、ノーベル医学賞をもらうほどには、劇的ではなかったですが、少なくとも、今のところ、進行は止めて入るみたいです。 だから、私は私的に服用は続けることにしました。

PSAの値というものの信頼度について、先生に訊いたところ、一般に、前立腺を刺激すると、値は上がるそうです。 具体的には、射精とか、触診で変わるそうです。 自分で前立腺を触診は出来ませんが、射精は出来ます。 そう言えば、先日 思い当たることがある・・・?!? 呵々大笑、気にしない気にしない。

次回京大での検査は、年末、12月です。 これ亦、楽しみです。

何時までも年をとらないためには、熟年といえども、一方では、「老いらくの恋」をしなさいと言われながら、一方では、前立腺を刺激するなと、言われる。 これまさに、「愚や愚や 汝を如何せん」の問題ですね。

先日、「バルトの楽園」を観てきました。 感泣しました。 今度は、フラウを連れてもう一度観に行く予定です。 昔の日本人は立派でしたね。 あれこそ、ノーベル平和賞ものです。

今や、梅雨も本格的ですね。 梅雨の頃に咲きにおう梔(クチナシ)。

香るくちなし 相合い傘を 思い出させた 今朝の道 (ほのぼの)

あの時の傘の君は、今どうしてるのだろう? かの謡曲の君は、お元気にされてますか?宜しく、お伝え下さい。

では 気候不順の折から、御自愛専一に。

(その6)

前立腺、PSAもさることながら、老生、昨年(2007年)末より、心臓弁膜症不全に起因する「肺水腫」に犯され、京都大学病院循環器内科に入院治療を受けた。 多量の利尿剤の投与と心臓機能の改善が内科的に図られたが、結果的には、治療不能となり、急遽、豊橋ハートセンターでの、開胸心臓手術を受け、起因であった僧帽弁膜不全は完治され肺水腫も治癒された。 が、とにかく、4度目の開胸手術であり、また、老齢であることから、退院後、不覚にも、1ヶ月で、両脚が腫れ上がるという、後遺症が発生した。 後遺症の正確な病名は今なお不明であるが、臨床的には、「深部静脈血栓症」に似た症状であり、治療法としては、同じ京大病院循環器内科で、再び多量の利尿薬と、バンコマイシン、ゲンタマイシンの連続点滴を6週間受けることとなった。 血液凝固防止剤としての「ワッファリン」は既に、長期間服用しており、通常、INRの値は2.0~2.5に保たれているから、血栓による障害とは考えにくいので、それでは、細菌起因ではないかと言うことで、抗生物質の点滴が継続されたのである。 結果的には、それによってか(?)両脚の浮腫はなくなり、歩行が可能となった。 この段階で、利尿剤の継続服用を条件に、退院してきたが、最初の入院から半年が過ぎていた。 この間、前立腺、PSAのことは考慮になかったが、大量の利尿剤が点滴を通じて、投与された際など、臨時に、尿導菅(ウロバッグ)が装着され、これを外した際に、これまた後遺症で、排尿障害が起こった。 これは、年齢的な前立腺肥大があるからとのことで、妙薬「ハルナール」の服用で解決できた。 現在、日常時には、ハルナールは使用していない。

そんなこんなの、正に臨死体験もどきの入退院を経てきたのだが、約束の泌尿器科に於けるPSAの外来診察があると言うことで、2008年、5月19日にその結果を聴きに行った。 結果は、驚くことに、11.0 であった。

ちなみに、これまでの経緯全てを表示すると、
         
2004/03/19  ;  7.5   
          2004/09/17  :  7.3   
          2005/09/10  ;  10.2   
          2005/11/02  ;  12.6   
          2006/01/12  ;  12.5   
          2006/03/17  ;  9.5   
     2006/06/07 ; 11.0 
     2006/12/05 ; 11.6 
     2007/06/11 ; 12.8;  
     2007/11/26 ; 13.9   
     2008/04/16 ;  11.5  
     2008/05/19 ; 11.0

入院治療中に、正に多種多様な薬品が、試行され、施用されたのだが、総合的には、この過程でPSA値の低下を導き、少なくとも前立腺ガンの進行も抑えられたと言うことである。 もう入院はイヤだが、PSAに関しては、喜んで良い、のでないか。      (2008/06/12)

(その7)

決して自慢できることではないが、その5月19日以降、またしても今度は、胆嚢炎症状が出て、京大病院に再入院することとなった。 これの治療は、胃腸内科で施行され、やはり、抗生物質(スルペラゾン)の点滴、利尿剤の服用、絶食4日間等の治療を受けた。 絶食は辛かったが、このお蔭でか(?)脚部の腫れ、リンパ浮腫は完全に消失した。 ただこのために、体格は、ミイラかガイコツのように、やせ細ってしまった。 が、有難いことに、胆嚢炎の病状も消失したので、8月5日に、退院することが出来た。

帰宅後、静養に努め、当時、抗酸化作用が強いと言うことで、盛んに宣伝されていた「セサミン」を購入し、ヴィタミンC剤とともに服用することにした。 この状態で、2008/11/12 にPSAの定期検査に出掛けたところ、その値は 
   
2008/11/12 ; 10.2

と減少していた。 担当医師と共に喜び合った次第である。 次の検査は、来年春になる。 春が待たれる。

(その8)
退院後は、服用しているワーファリンの影響で、鼻からの出血に悩まされ、何度も京大耳鼻咽喉科に救急で、駆け込み応急処置を受ける事が続いた。 ために、自己防衛策として、ワーファリンの服用量を自主的に、調節することとしてきている。 最近の測定では、INR値は 1.4 を維持している。 
2009年3月23日夜に、またしても、鼻からの大出血があり、救急患者として、耳鼻咽喉科に駆け込んだ。 これまでは、いずれもその日の当直の先生が、文字通り応急処置をして、鼻血が止まれば、「では、お大事に」と言うことで終わっていた。 が、この3月23日の折りには、その当直の先生が、幸いにも、病棟長の楯谷先生であり、時間をかけて、根本的な治療をしてくださった。 そのお蔭で、今日現在に至るまで、鼻血の心配からは開放されている。 有難いことである。

が、一方、後期高齢者の常として、体力の低下から、ともすると、咽喉炎や気管支炎症状を呈することがあり、その度ごとに、心不全に起因する「肺水腫」症状を呈した。 医師は多量の利尿剤の服用を指示し、これを真面目に実行すると、確かに、肺水腫は治癒する。 これの繰り返しが屡々である。 換言すると、臨床的には、肉体は脱水症状を引き起こすのであるから、体は疲労困憊し、体力は益々低下する。 しかし、高齢者には水分の補給が大事であるから、さかんにスポーツドリンクなどを摂取する。 排水と水分補給という、相矛盾した二つの行為を繰り返すので、その調節も又、大変である。 

こんな状況の中でのその後のPSAの値は、
    
2009/04/48  ;  15.98    
     2009/05/14  ;  18.1

と、思いもかけぬ大きな値を示していた。 その日の医師は、「これは多分、最大瞬間風速みたいな物で、心配しなくてもよいと思う。 PSAの値は、例えば、長時間自転車を漕いでいても、上がることがあるほど、前立腺刺激に対して敏感な物ですから」と、話し、次回の検査予約を決めてくれた。  さて次回が楽しみである。

その検査結果は以下の通りである。 医師の判断通り、値は低下していた。 

  2009/08/06 ; 15.4

私も既に、満78歳も過ぎたのだから、PSA値が、15.4ならば、もし前立腺ガン細胞が存在するとしても、そのダブリングタイムもスローなのだから、取り越し苦労して、細胞診断、更には放射線照射などする事もない、と安心した。 次回の検査は半年先である。

この半年の間に大事件があった。 多分、ワッファリンの所為だと思うが、自覚症状のないままに、内臓からの出血があり、赤血球、ヘモグロビン数とも4割台にまで低下し、(3割になると一般的には死ぬと言われている)、救急で輸血を受けた。 この貧血にともなって、心臓も急性心不全状態になり、起坐呼吸しかできない重症となり、これ又、胸水の排水(排尿)処置を受けた。 危うい所の一命を救われたのである。 これ以来、胃腸の保護薬の服用が追加された。

これらのことが原因しているのか、していないのかは、判断できないけれども、今日2月4日(立春)の日に、京大泌尿器科にPSA値の検査結果を訊きに行ったところ、驚くべき事に、

 2010/02/04 ;  9.12 

と激減していた。 

先生と共に、快哉を叫んで、喜び合った次第である。 次回が楽しみである。

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2009.05.19

最後の努力

The_last2 

(死の寸前に撮られた兄の受験用写真)

最後の努力 

塩野七生の「コンスタンチノーブルの陥落」を、今、読み続けている。 3度目の通読である。 最初の完読は、平成7年である。 2回目は、平成12年2月14日と記述されている。 この書、ビザンチン帝国皇帝とトルコ スルタンとの激戦の様子が、詳細に記述されていて、実に興味深い。
その第7章は、「最後の努力」と言う題目になっている。 コンスタンチノーブル陥落を前にしての、住民達の最後の努力の様子、心情が手に採るように理解される。 

「最後の努力」と言う言葉を見ると、私は亡兄の日記を思い出す。 実は、この言葉、戦時中の昭和19年12月6日の晩に、兄が書き残した日記の言葉がまさしく、この言葉であった。 当時兄は、学徒動員令により、京都より愛知県半田市の中島飛行機工場に動員され、海軍偵察機、「彩雲」の製造に携わっていた。 ひもじい食事、狭い部屋での共同生活の中、それでも兄は、毎日、前途に希望を見出すべく、日記を記していた。 

「最後の努力」と、記した日記のその翌日、12月7日、兄は、不運にも突如襲った「東南海地震」で殉職したのだった。     合掌。

以下にその日記の一部を再録したい。                   
12月3日 (日)
午後警戒警報、引き続き空襲警報あり。
12月4日 (月)
点呼後、4年の数1,物象、生物の本の配給あり。
12月5日 (火)
工場にて午後進学につき草薙先生との対談あり。
第一期は大阪高校、第二期は京都又は大阪工専、第三期は日満高工ときめた。

最後の努力!!
12月6日 (水)
今日は公休日なり。 朝より十時迄に部屋替えを行う。 今度、新池寮に福商、敦賀商、甲府商が入ってきたので、四年は全部 六中隊におさまる事になり、一室に十四人、自分は第八室となった。 班長は五組の山崎君、副班長は中岡君である。 
午後は家への便り、及び日記の整理をす。
六時より夕飯、夕飯後予定にもとづき勉強をす。

最後の努力!!
12月7日 (木)  (12月7日の日付だけがしるされている)

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2009.05.17

世情 感あり

世情 感あり

今日は5月17日(日)、朝からの雨模様で、且つこの時期にしては、薄ら寒い。 
今日のニュースは、新型インフルの国内発生で持ちきりである。 しかも、神戸の高校で発生したのは、自然発生的で、その原因も全く不明という。 

ただ、幸いなことには、この新型インフルは、比較的弱毒性で、過度の心配は要らないとのことである。 が、発症した折りには、WHOの基準に従い、隔離治療を受けることになる。 隔離された個室の病室で、病院関係者以外、家族や友人との面会も許されず、じっと独りで時間の経過を我慢することは、実際には、耐えられない精神的苦痛がある。  ウイルスの拡散を防止するための、対策としての必要条件であるからには、辛抱するしかないのだけれど。 こんな時の救いはメールでの話し合いであろう。 いずれにせよ、タミフルなどの薬品投与と共に、患者へのメンタルケアが必要である。

それでもウイルスは、自然発生的に拡散して、既に、神戸市より、大阪府下茨木市でも患者が出るに至っている。 ウイルスは正に忍者的である。 京都に出現するのも時間の問題かと思われる。 市や県の対策として、臨時休校などが決定されているが、正に思いもかけぬ事態となって来ている。 果たして今後、どうなっていくのか、心配すればきりがないが、心配である。

この大変な時期に、民主党の小沢党首が「敵前逃亡」し、急遽新党首の選挙が行われた。 結果は、私から見れば、小沢党首の傀儡みたいな物で、全く新鮮味がない。 これ亦、がっかりである。 

びっくりと がっかりばかりの テレビかな 
 

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2009.05.08

拙吟

拙吟

去年今夜伏病床    去年の今夜病床に伏す
黄金週間独断腸    黄金週間独り断腸
多難記録今此在    多難の記録今ここにあり
再覧知往時温情    再覧して往時の温情を知る

              英夫

(一言解説) 丁度一年前は、京大病院に入院して、抗生物質の点滴を受けていた。 点滴は、午前中、就寝前と、一日に2度、施行されたので、いわゆるゴールデンウイークも一時帰宅することも出来ず、独り、独房のような病室で、世間の晴れやかなニュースを、病室のテレビで、それも横目で見ながら、病身を横たえていた。 また、病室から見る京都の山々は、新緑に映えて、輝くばかりであった。 元来、山野跋渉、どちらかというと放浪癖さえある、私にとっては、まさに断腸の思いであった。
当時のことは、コマゴマと、私の日記に記載されている。    (大凡人 別項 黄金週間)

しかし今、此を読み返してみると、実は同じく黄金週間、大型連休を本当は楽しみにしていたであろう、妻や、家族や、友人や、多くの人達が、病室に見舞いに見え、楽しく話題提供してくれ、激励してくれたあの頃の、様々な事柄が思い出されて、嬉しく涙するのである。 
有り難うございました。

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2009.05.02

万歩計

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万歩計

外出するときには、何時も万歩計を付ける。 先日その万歩計をなくしたので、新しく、百円ショップで、購入した。 可笑しいことに、新しいのを買った途端に、なくしたと思っていた古い万歩計が出てきた。 だから、この頃では、腰の右と左に、それぞれ「新」と「旧」を付けて歩くことにしている。

昨日は、蹴上浄水場、京都会館周辺を歩き、食事など楽しんで、帰宅したのだが、「新」の万歩計の数値は、7,880 歩、「旧」の方は、9,330 歩であった。 なんと、両者で、1,500歩近い差が出ているのには、吃驚するより、呆れてしまった。 平均すると8,605 歩となる。 万歩計とは、この程度の物と、考えればいいことなのだ。

ちなみに、今朝、氏神の鷺森神社を往復した結果は、「新」の値が、4,106 歩、「旧」は 4,753 歩であった。 平均値は、4,430 歩となる。 実際の感覚もこれぐらいだ。

今の時期、何処を歩いても、ツツジが美しい。

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2009.05.01

ワーファリン、そして死

ワーファリン、そして死

ワーファリンの投薬量の過誤で、82歳男性、後期高齢者の方が、出血多量で亡くなられた、とのニュースがあった。 詳細は知るすべもないが、一日服用量 1.5mg のところ、数倍を服用したとのことである。 数倍と言うからには、推測するに、 0.5mg の錠剤と、5mg の錠剤とを間違えて、つまり、6mg を服用していたのかも知れない。 
患者さんは、口内に多量の出血をして、心機能が低下したのが、死亡に繋がった原因だと言われている。  合掌

私も口内出血を経験したことがあるが、実にイヤなものである。 現在使用されている「抗血栓薬」 ワーファリンは投薬を中止しても、すぐにはその効果は消えないで、数日間継続するという特徴がある。 これはこの薬品の欠点である。 緊急の場合には、医師により慎重に、ヴィタミンK剤を注射するなどの処置が行われるが、一般家庭では、せいぜい、口内の出血場所をガーゼで長時間抑えておくことぐらいしかできない。 それで、出血が止まればいいが、止まらなければ、救急車を依頼するしかない。

この際私の感想であるが、82歳という後期高齢者ともなると、年齢こそはいわゆる成人であるが、体内諸器官の機能は子供レベルほどに衰えていると考えてもよい、と思う。 従って、クスリの投薬量も、マニュアル通りの成人量ではなく、子供量に近い方を先ずは選択すべきでないか、と思う。 
2番目に、ワーファリンの効果度は、簡単な血液検査により、その適量が判断できる。
いわゆる INR値 の測定である。 後期高齢者ならば INR値 は、1.7 ぐらいでよいとも言われている。 
現在、糖尿病患者が御自身で血糖値を測定して、その都度、摂取糖量を調節されているように、INRの測定も自分で、出きる様に法を改正すべきである。 指先を刺してその一滴の血液で、INR値を測定する器具は既に出来ている。 後はやるかやらないか、医学界、政府の決断だけであろう。

今回の82歳の男性の事故(?)死が、前向きの成果を生み出す動機にでもなればよいのだが。

それにしても、このニュースの情報が正しいとして、ただ数倍の投薬量の差によって、それが致死量となるのならば、正に恐ろしい「クスリ」ではある。 ちなみにワーファリンは農業用殺鼠剤として市販もされているものでもある。

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