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2009.01.31

ガッツポーズ

ガッツポーズ

連日満員御礼の国技館を沸かせた、今年の初場所で 朝青龍 が、何やかやと言われながらも、ともかく優勝した。 その優勝決定戦の時の、国技館内の歓声は、これまでにないほどの盛り上がりであり、正に大歓声であった。 テレビの瞬間的視聴率も、記録的な値だったとのことである。

そして優勝が決まった瞬間の、国技館内の歓声と拍手も凄かった。 誰しもあの歓声と拍手を受けたなら、満面に笑みを蓄え、両手を挙げてガッツポーズをとるのは、人間として当たり前のことだと思う。 あの時、何もしないのは却って不気味でさえある。

だと思うのに、審議会とやらは、横綱のガッツポーズは、前例のない異常事態であり、横綱にふさわしくないと言う。 何という、アナコロニズムであることか?! そんなこと言うぐらいなら、国技館に何故外国人力士を導入したのか? と反問したい。 審議会は今の、大相撲の満員御礼は、外国人力士の活躍に負っていることを、しっかりと認識すべきである。 

審議会よ 悔しければ、日本人力士の中から、横綱を育て上げてみなさい、と言いたい。

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2009.01.25

Yさんへの返信

Roubai2

(写真は近所で撮った蝋梅です)

Yさんへの返信

寒中お見舞い申し上げます。
墨書の手紙を有り難うございました。
皆さま、お元気のご様子大慶に存じます。

今日の京都は殊の外寒く、陽は射していても、窓の外には北山からの粉雪が舞っています。 ので、こんな冷たい日には、外出は出来ません。 しません。 一日、家の中の日の当たる場所で、読書か、パソコンと遊ぶことにしています。 最近、例の塩野七生の「ローマ亡き後の地中海世界」(上)を読んでいます。 中世前期、イスラム教を掲げるサラセン人による、イタリアを含む南部ヨーロッパでの海賊行為の凄まじさに、今更のように驚いています。 いわゆる「ジハード」(聖戦)の名の下に、神の名において、人間という生物は、「凄惨」きわまりない、暴虐をしてきていた、と言うことを、平和ボケの我々はもっと認識する必要があると、思いました。 もっとも、日本でも、いわゆる中世の時期には、聖戦ではなくても、「倭寇」が暴れていた歴史がありますが。

今年の正月は私達は、久しぶりに、長岡天神さんに初詣に行きました。 長岡天神には、子供の頃、父に連れられて、来た思い出があります。 元日の長岡天神、さすがに拝殿の前は、凄い人出で、体を斜めにして拝みました。 参道も例の露店がぎっしりと軒を並べており、相変わらずの日本的な賑やかさでした。

実のところ、昨年暮れから歯が痛み出し、歯医者さんは既に休診だったものですから、正月料理もろくに味わえず、6日なって、歯医者さんに今年一番の患者として飛び込んでいき、やっと治してもらいました。 歯医者さんの言うところでは、歯根が割れているから抜歯した方がよい、とのことです。 が、今はお蔭さまで痛みもとれたので、抜歯して又、出血が止まらないなどの、トラブルが出ても困るので、痛みを抑えるだけで「なんとかもたせる」ことにしています。
「なんとかもたせる」ことばかりの多い、面白い人生です。  呵々大笑。

しかし、去年の今頃のことを思うと、お蔭さまで、こうして一命を永らえることが出来たことに、本当に感謝でイッパイです。 この一命、今後も大事に、しかも楽しく余生を演出していきたいと、思っています。

では、寒さなおなお、厳しい折から、皆様方も御自愛専一に。 とりわけインフルエンザには気をつけて下さい。        草々。

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2009.01.20

大寒

大寒 : 思い出の道

1月20日、大寒である。 大寒、矢張り寒い。 とりわけ今日は陽射しがないので、一段と寒く感じる。 天気予報では、昼から陽射しがあるように言っていたので、久しぶりに北白川周辺、京大農学部周辺を歩きに出掛けた。

北白川別当町、この辺り、お医者さんが多いのを発見して驚いた。 私に直に関係している心臓血管クリニックがある。 最近ここに移転してきた、新装開業のクリニックで、中に入って見たが、明るく、雰囲気も素晴らしい。 予約が要るとのことだったが、節分も過ぎて、少し暖かくなったら、心エコーを診断してもらいに来てみようと、思った。 

御蔭通り(北白川通り)を下る。 なんと、学生さん用のワンルームマンションの林立である。 所々に、しゃれたケーキの店や、古風な感じのそば屋や、又一段としゃれたフレンチレストランがある。 私が農学部学生だった頃、こんなものは全くなく、下宿屋が多かった。 友人の下宿に集まって、皆で、リカーバーを開いたり、或いは、大晦日の晩にすき焼きをし、除夜の鐘を聞きながら、飲み明かしたこともあった。 昭和29年、あの頃も不況で、就職難だったが、皆には、夢があった。 これからの将来、必ず良くなっていくとの希望があった。 自分たちが良くしていくのだとの、闘志があった。 好い時代だった。

久しぶりに農学部構内、「北部食堂」をのぞいてみた。 学生さん達で満員だった。 メニューは豊富で、さすがに安い。 昔のメニューはブタ汁だけだったが。 こうして歩いてみると、昔の思い出が甦ってくるから愉快である。 一升(1.8リットル)の水を、一気に飲めるか?と、言う挑戦があった。 友人の一人、N君が見事に飲み干して、皆の喝采を浴びた。 それ以来、N君が水くさくなるかと、心配したが、彼はならなかった。             呵々大笑。
思い出の道はよい。
 

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2009.01.16

パソコン囲碁

パソコン囲碁

パソコン同好会で教えてもらった、フリーソフトの囲碁ゲーム、これが又、今の私の実力と同じレベルなので、よく遊んでもらう。 時折、体調が不全と思われて、何かしら自分で落ち込んでいるときなど、このパソコンゲームと遊ぶと、体調不全がウソのように治ってしまうから不思議だ。 多分、低血圧気味で、体が不調の兆しを見せていたのが、ゲームをすることによって、血圧が適当に上昇し、血液循環も適当に促進されての結果だろう、と自分では納得している。 もたれ気味だった胃袋も、何故かしら空腹感を覚えるようにさえなるから、不思議なものだ。 いずれにしろ、医者も薬も無関係となってくれるのが、何よりも嬉しいことだ。

私の囲碁レベルは、そもそも、詰め碁のヒラメキがサッパリ無いので、出たところ勝負のことが多い。 だから黒番でも、白番でも、勝ったり負けたりで、実際の実力はどうなのか、サッパリ解っていない。 ただ負け出すと、パソコンソフトの相手さんに、「研究」の大義名分の下に、一っ手戻してもらったり、時には、十っ手戻してもらったりして、研究することにしている、ので、先ずは、大敗することはない。 第一、幾ら待ったをしても、パソコンさんは大声で怒ったり、嫌な顔をしたりしないので、こちらもストレスを感じることがないのがよい。 私の場合、相手が打つと、衝動的に自分の石を打つ悪い癖があると、反省はしているのだが・・・。 相手が打ってから、少なくとも10秒は考えるようにしよう! さてさて。

それにしても、この囲碁という、ルールは簡単明瞭でありながら、その奥の深さ、千変万化のヴァラエティーに富むゲームが、三千年以上前に中国で発明されていたとは、驚きである。 日本では平安時代の貴族や、最近では、「篤姫」が好く囲碁を楽しんでいたっけ。

囲碁ゲーム 待った待ったの 中押し勝ちで 散歩の脚も 軽くなり 

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2009.01.15

だんだん3

だんだん!

琵琶湖周航の歌が、京都大学ボート部の歌とされているのと同様に、宍道湖周遊歌は島根大学ボート部の歌として、さらに又、島根大学の学生歌の一つとして、廣く愛唱れている。  コンパや卒業送別会の時など、学生さん達と放吟した思い出がある。 今年、その卒業生からもらった年賀状の中に、「宍道湖周遊歌」の全文が載っているのがあって、感激した。 ここに、それを記載したい。

「宍道湖周遊歌」      作詩:木下恵介

私はふりかえる
あの日の空の色を
そして、その青さは
湖のささやきを染めて
君と、私と、その未来に
何か輝かしい約束が
あるような気がしたのだ
私の笑い、君の微笑み、
肩をたたきあったとき
そこに友情があった
別に言葉はなく・・・・・・

♪♪ 水の松江の春浅く
   千鳥の城に一人来て
   君が面影偲ぶとき 偲ぶとき
   もみのこずえを風が吹く ♪♪

あわれ青春のあの日
君も、君も、そして私も
その胸に赤く燃える
夕焼けがあった
その雲の美しさも
入り日の影のきらめきも
私たちは ただ あこがれの
恋の色に写して
酔えばよかった
酔えば手を振って歌い
歌えば歌の心に酔った
そして その ひとときの
感激に永遠をおもい
飛び去る鳥のゆくえにさえ
そのかなたに幸せがあると
おもったのだ
つかのまをしらず

♪♪ ただよう雲は青空に 
   流れる水は 中の海に 
   消えて はかなき青春の 青春の 
   命 おしむか 嫁が島

   君はひとみに涙して
   吾より去りぬ宍道湖の 
   岸辺に立てば 夕映えは 夕映えは 
   今 紅に燃え立ちて 
   燃え立ちて ♪♪

30年近く過ごした松江ライフ、島根大学、そして宍道湖の思い出よ、ありがとう! 
だんだん!

参照:http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/4884/lake/shinjiko.html

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2009.01.14

名作 年賀状

名作年賀状

今年戴いた年賀状の中で、印象に残る素晴らしい作品があった。 葛西善三郎先生から戴いたものである。 葛西先生は毎年、「いろは四十八文字すべてを用い、同じ字の重複なし」と言う難しい制限の中で、いつも素晴らしい詩の作品を送って見えるのです。 今年は丑年ということにも懸けて、次のような作品でした。 余りにも素晴らしく、又今の私の心情を揺さぶるものなので、ここに皆さん方にも御披露致したいと思います。

賀正
牛にひかれて善三郎

念仏申す 吾が前へ
慈悲垂れぬるは み佛の
目先きの 色に悩むより
生死を越えて 仰ぐ空

己丑元旦

ちなみに12年前、同じ丑年に戴いた年賀状では、次のような作品である。

迎春

雪の白さよ 初詣
老いを寿ぐ ふたり仲
居寝むる暇に 智恵みせん
明日へめげぬぞ やれ笑え

丁丑元旦

葛西先生は学術の面のみならず、「現代都々逸」創作の方でも私が御指導いただいた先生である。 「ひらめき」の素晴らしい先生であり、この「いろは四十八文字」の作詩、私には到底真似の出来ない分野である。 

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2009.01.06

百年に一度

百年に一度

今年は「百年に一度」の年となるそうだ。 国会でも、何かというと、「今は百年に一度」の金融危機の時期だからと言う理由付けで、何でもありの感じさえする。 実際、国内的にも、国際的にもこのところのニュースは、悲観的なものが多い。 

人類の経済史上、我々は先に共産主義的経済の破綻を見てきた。 今見るこの経済危機は、資本主義的経済の限界、を見せているようにも思える。 共産主義的経済も、資本主義的経済も、いずれも、「度」を越したらいけないのだ、と言うことではないのか。

「度」を越すか越さないかは、人間の知性の問題である。 人間は本来その知性は備えているはずである。 のに、中にはその知性を超越した発想を、ヒラメキを得る人達が現れて、一般人を出し抜いていく。 これが、人類に貢献できるヒラメキなら、ノーベル賞的なのだが、独りよがりの個人的な営利行為となると、いわゆる「独占」、「独裁」となり、世界を混乱させ、人々を不幸になさしめかねない。 いずれにしろ「度を超すのは」よくない。 古の賢人は「中庸」を説いているではないか。

今年、「百年に一度」という正に歴史的な、貴重な年の、その成り行きを見守りたい。 

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2009.01.01

謹賀新年

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