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2008.09.25

太郎

Higannbana1 

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何時の世でも、何処の世界でも、政治の世界,その内幕は常に混沌としている。 ので、私など市井人にはよく解らないことが多い。 この度は、とにかく、新総理として、自民党の「麻生太郎」氏が指名された。 この国際的にも、国内的にも難問が山積しているときに、誠に御苦労なことである。 これまでの経験と人脈と、そして粘りの根性を活かし、とにかく日本のために、全力を尽くしていただきたい、と思う。

(今は昔) こんな歌があった。 麻生太郎氏は御存知だろうか?

♪♪ 子を頌(たた)う ♪♪
     歌 城 左門  曲 深井 史郎  (昭和19年)

  1.太郎よ、お前は、よい子供
   丈夫で大きく強くなれ 
   お前がおおきくなる頃は 
   日本も大きくなっている 
   おまえは、私を越して行け

  2.花子よ、お前は、よい子供
   丈夫で綺麗に淑やかに 
   お前がお嫁に行く頃は 
   日本も大きくなっている 
   おまえは、私を越して行け

  3.太郎よ花子よ、日本の子
   丈夫で大きく強くなれ
   みんなが大きくなる頃は
   日本も大きくなったいる
   子供よ、おとなを越して行け

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2008.09.15

稔り

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稔り

稔るほど 頭を垂れる 稲穂かな

これは実に良くできた教訓的俳句である。
自分も常日頃そうであらねばならない、とは思っている。

(今は昔)
僕がまだ小学校に入る前、近所に同年の「稔ちゃん」という仲良し友達がいた。 お互い、よくそれぞれの家にも遊びに行ったり、家の近くの原っぱで遊んでいたものだった。 本当に仲の良い仲だったから、お互い小学校に入学したとき、同じクラスになればよいと、思っていたが、実際には僕が3組で、稔ちゃんは5組だった。 
クラスは違ってしまったが、それからも二人は、そして近所の同級生や上級生達とは、学校から帰ってから、同じ近所の原っぱで、いわゆる草野球をしたり、兵隊ごっこをしたりして、夕暮れ近くまで遊んでいたものだった。

稔りの秋の頃だった。 草野球が済んで家に帰るとき、ふと我が家の屋根を見ると、風呂場の煙突からでなく、その煙突と一階の屋根の接点から、薄紫の煙が出ていた。 僕は家に入るなり、丁度台所で炊事の用意をしていた母に、煙のことを告げた。 二人して、台所からその煙突の接点を見上げると、何と今にも発火しそうなほどに、煙が立ちこめていた。 二人は、「これは大変」とばかり、台所の水道にホースを繋ぎ、下から、二人ともずぶ濡れになりながら、注水した。 兄妹達も呼ばれて、兄は水道に繋いだホースの接点が外れないように抑えて、水道の蛇口をイッパイに開き、僕はホースの口を指でつまんで、水圧を高めて母と一緒に必死の注水であった。 妹は、今まで燃やしていた風呂の竈の火に水をかけて消した。 幸い水は屋根まで届いてくれたので、間もなく煙は治まった。
が、風呂場は勿論、台所も水浸しになってしまった。 その日の夕食の献立が何だったかは忘れたが、話題は煙突のことばかりだった。 もう少し発見が遅かったら、煙突から発火して、我が家は全焼していた、かと思うと今でも恐怖を感じる。 子供の頃の思い出の一つである。 火の用心! 火の用心!

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なお、僕の幼友達だった稔ちゃんは、終戦後、肺結核で夭折したのだった。 合掌。

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2008.09.09

重陽の節句

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重陽の節句

9月9日は、日本では語呂合わせで、「救急の日」とされ、テレビなどでもそれに関連した報道が多い。 が、実際は、この日は古来、めでたい陽の奇数の最大である9が、二つ重なった、より目出度い日という事で、「重陽の節句」とされてきた。 とにかく目出度い日なのである。 

この目出度い日の今日、予報は朝から日本中、「日本晴れ」、現実に京都の空も、雲一つない爽やかな秋空が広がっている。 そんな中、一つだけ小さな白雲が東の空にあると見えたのは、よく見るとそれは、折からの半月であった。 正に陽と陰が同居している姿がそこに見られた。 時折、その碧空に一筋の絹糸のような白線を引いて、ジェット機が或いは東に、或いは西にと飛んでいくのが見える。 あの機には、どんな人達が乗っており、何処へ向かうのだろうか?と、こちらまで旅への憧れが誘引される。 

秋、行楽の秋、スポーツの秋、食欲の秋、芸術の秋、読書の秋、・・・、私はまだ、病上がりの身で、そんなに遠出は出来ないが、何か「小さな旅」を計画したいと思うようになった。 さてさて、皆さんはどんな計画をお持ちですか?

この12日には、東京の国立陸上競技場で、全カレがある。 日本中の大学の陸上競技大会である。 これに孫が出場する。 種目は三段跳びである。 彼と話すと、彼は本気で、次のオリンピック、ロンドンを目指しているらしい。 結果はどうなるかは判らないけれど、時は正に、スポーツの秋、大いに実力を発揮して、存分に、競技を楽しんできてもらいたい、と思っている。 

明日はもう9月10日、暦は二百二十日である。 そういうと、今年は、二百十日も無事だった。 酷暑がつづき、ゲリラ豪雨が頻発したが、不思議と台風は少ない。 これは無い方がよい。   二百十日というと、夏目漱石の小説が思い出される。 僕は若い頃、これを読んで、その面白さに、腹を抱えて大笑いしたことがある。 人間笑うことは、今はやりの健康食品以上に重要なことである、ので、また読んでみたいと思っている。 皆さんにも一読をお勧めしたい、と思う。

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2008.09.05

総裁選

総裁選

私は一介の市井人であって、政治評論家ではないので、私の思惑が当を得ているのかどうかについては、自信はない、が、この所の、日本の政治情勢、とりわけ、総裁選について、市井人としての感想など述べてみたい。

日本の民主党が、無投票で今の党首、小沢氏を選んだのに対して、自民党は新たに党首を選ぶに当たって、多くの立候補者が出る模様である。 その中で、本選挙までに、いろいろな立場から、これからの日本の政治、世界の中の我が国のあり方など、討論され、提案されていくらしい。 このことは、一介の市井人にとって、今後の政治の方向性が、判りやすくなるので、大変結構なことである。

これに対して、民主党の方は、小沢氏が、これからの日本をどうしていこうというのか、我々には一向に伝わってこない。 彼は口を開けば、次は民主党が政権を執るのだ、それが国民の声だ、と言うだけで、或いは今の自民党を批判するだけで、また、相も変わらず一大臣の弱点を掘り出して、国会で追求するとか、いじめみたいなことばかりしていることだけが目立っている。 あれだけ言うのだから、一度やらせてみたら、と言う声もあるが、小沢氏が政権を執ってから、何をどのようにするのかについては解らず終いである。 これでは困るのである。 

小沢氏は、或いは民主党は、例えば自衛艦による海上での給油活動には反対という。 給油活動に反対するにしても、それでは、現実に今も存在しているテロや、海賊にはどのように対処するつもりなのか。 まさか、海賊とも話し合いで、と言うのではないだろう。

好むと好まざるに拘わらず、今の社会生活では、国際レベルでも、また、国内レベルでも、常に、自己防衛、自衛対策が必要な世界になってきているのである。 この問題一つとっても、小沢民主党政権は、どのように対処するのか、私は知らないし、知りたいと思っている、のに何ら具体的な説明もない。 

平和は貴く、理想でありまた目標ではあるが、人類の歴史は、動乱や戦争に対する自己防衛、自衛の必要性を教えてくれているではないのか。 

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2008.09.04

9月4日

9月4日

最近地震の防災訓練がこと繁く行われている。 地球規模で見ても、また日本各地でも、最近確かに地震の頻度が高くなっている、から、訓練することはよいことである。 それにしても、先日、大阪での東南海地震の総合訓練の折り、福田首相が自衛隊機に乗って、凛々しい姿で訓練の場に現れ、一廉の挨拶などしておきながら、その次の日に、突然首相を辞任すると言いだしたのには、誰しも驚いた。 あんな勝手なことって、よくできるものだ。 

中曽根元首相の言を借りれば、「福田君、安倍君にしても良家の子弟だ。 下から汗水垂らしてねじり上がったのではない。 地位に恵まれた面はある。 一方、外国の指導者達は、下から苦労して地位を獲得した歴戦の闘士だ。 温室育ちの日本の政治家は、外国の指導者と太刀打ちできるだけの修業が必要だろう」(産経新聞)と、その軽薄さを戒めている。

ちなみに、(私事になるが)今日9月4日は、亡兄の誕生日である。 生きて居れば兄は、今日、傘寿である。 兄は、昭和19年12月7日の東南海地震で、折から学徒動員で勤労していた、愛知県半田市の中島飛行機工場にて、学友12名と共に殉職したのだった。今は靖国神社に祀られている。 私は今朝、仏壇の前で、本宮三香 作「九段桜」を献吟した。 合掌。 

  

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2008.09.01

言葉

言葉

自己に与えられた現在を、自己に与えられた現在として、逞しく生きていく者は、日々を好しとして肯定する。 ながき生命を善しとし、短き命を善しとする。 愚かなる己を善しとし、醜き己を善しとし、貧しき己を善しとし、病多き己を善しとする。 
自己に与えられた一切の必然を、「善し」として肯定する者は、一切に対して囚われることのない自己を持つ。 一切に対して囚われることの無いのが、至人の自由である。 至人はただ与えられた自己の現在を、自己の現在として逞しく生きていく。     
(中公新書、荘子 p.190 福永光司)

栄枯盛衰が歴史の理ならば、せめてこのヴェネツィアのように、優雅に衰えたいものである。 そしてヴェネツィアが、優雅に衰えたのは、ヴェネツィアの死が、病気や試練を幾度も克服してきた、自然死を迎える人間の、死に似ているからであろうか。  

(塩野七生 著 「海の都の物語」下 p.507)

       (1995,08,29) の日記より

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