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2008.08.30

戯歌

戯歌

退院後、お蔭さまで体調の異常もないので、最近は夕方涼しくなってきた時間帯に、少しずつ、ゆっくりウオークをし始めた。 時間にして小一時間、歩数にして3000~5000歩である。 後ろから来た人達が皆、私を追い越していく。 
今日は例の音羽川に沿って、修学院離宮の近くまで行き、そのままリターンしてきた。
そんな時、自然と戯歌が出来た。

秋来ぬと 眼にもさやかに 見えたれど なおなおつづく この暑さかな

実際、ウオークする路端の稲穂はすでに、頭を垂れ、気の早い楓は既に紅葉を始めている。
それにしても、今年は、何故何時までもこうも、蒸し暑いのだろう。 
お蔭さまで、京都洛北は未だ豪雨に見舞われてないが、今年は、全国各地で、ゲリラ豪雨に襲われ、被害も甚大と言うことである。 早く、爽やかな秋空を見たいものである。

ゲリラ豪雨に遭われた人達へ、「ゲリラ豪雨お見舞い申し上げます」

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2008.08.24

Aさんへの葉書

Aさんへの葉書

Aさん

 その後リハビリも進み、一日一日、御快復されていることと拝察しています。

今年の京都は、降雨が無く、連日連夜の酷暑がつづいたので、私め、病み上がりの身にはほとほと堪えました。 昨日ぐらいからやっと、雨が降り、やっと涼しくなり、私もやっと元気が出てきました。 まだまだ時限爆弾を抱えている様な身ですので、慎重に、且つ前向きに静養に努めるようにしております。

先日たまたま読んでいた本の中の言葉に、強い印象を受けました。 正岡子規の言葉だそうです。

「悟りと言うことは 如何なる場合にも 平気で死ぬる事だというのは間違いで、悟りと言うことは 如何なる場合にも 平気で生きている事であった」

   リハビリ頑張ってください。 京都から応援しております。

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2008.08.22

さんこのじょろめ

さんこのじょろめ

(今は昔) 

私の子供の頃、児語で、「三度目の正直」のことを、「さんこのじょろめ」と言っていたように思う。 要するに、三回目は真剣勝負だよ と言う意味だ。 「さんこのじょろめ」にどんな当て字があるのかは判らないし、ひょっとして、本当は少し表現が違うのかも知れない。                                        

とにもかくにも、この「さんこのじょろめ」が、昨晩、目の前で実現された。 昨晩の北京オリンピック、女子ソフトボール大会で、日本中が応援する中、これまで2度も負けていたアメリカチームに、これが最後の三回目、優勝決定戦で、堂々と勝利したのだった。  まさに「三度目の正直」そのものである。

日本チームが、かの優勝間違いなしと思われていた、アメリカチームに打ち勝ち、金メダルを獲得したのだった。 テレビの前で、私は激し、北京までは届かぬまでも、声を出して声援し、優勝が決定した瞬間には、思わず手を叩き万歳の声を挙げていた。 表彰式で、センターポールに日の丸が挙がり、国歌「君が代」が流れるとき、私もテレビ画面の選手達と一緒になって斉唱した。 本当に嬉しかったし、本当に感激した。

とりわけ、2日間で、3試合を連投した、上野由起子投手の力投には、感嘆するばかりであった。 正に世界一の投手である。 今回のオリンピックでは、日本チームに数々のドラマがあり、興奮があり、成果があったが、もしこれらの中から、国民栄誉賞者が選ばれるのであれば、上野由起子投手もその一人となることであろう。 ならねばならないと、思う。                                                        

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2008.08.19

俳句の日(その2)

俳句の日

今日8月19日は、語呂合わせで、俳句の日とされているそうだ。 そこで、ずぶの素人ながら、作句に挑戦してみた。 挑戦中、あちこちに脱線したが、全てを記録することにした。

(俳句)   秋いずこ 干天つづく 蝉しぐれ 
      (もうとっくに立秋は過ぎたというのに)                      
       

       今日も亦 雨の降らない 残暑かな 
      (実際の所、病み上がりの身には、今年の暑さは堪えました)
       
       酷暑にも 秋を見つけた 赤とんぼ
       
       蜩(ひぐらし)が  心に沁みる 年齢(とし)となり          

(短歌?) 予報官 集中豪雨と 差す図には 今日も外れる 京の洛北

(都々逸) またこれか スポーツ放送 もう聞き飽きて 妻と語らう 過去の旅

                                                     妄言多謝

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2008.08.15

路芝

路芝(みちしば)

久しぶりに松江を訪れたという、卒業生から、土産にと松江の銘菓「路芝」を戴いた。 この路芝は、見た目には地味に見えるけれども、「かぐわしい胡麻の香りを配した、ほどよい甘みの調和のある」、実にオイシイ小さな菓子である。 嘗て、もう20年も前になるだろうか、山梨県の桃の郷のツーデーマーチに参加して、満開の桃園の中道を皆と歩いていたとき、たまたま同行した東京の御仁が、私が松江から参加していることなど、話を交歓しているとき、彼は、松江の銘菓、風流堂の「路芝」を絶賛していたことがあった。

この銘菓の由来書を見ると、「路芝」には出雲風土記の時代背景があるとのこと、なかなか興味深い感慨を覚える。 古代出雲の国が大和の支配を受ける様になって以来、都の役人達は、当時のこととてそれこそ長い道のり、幾山河を越えて出雲の国、出雲郷(あだかえ)の役所「国府」に入った。 この僻地にあって、出雲風土記の編纂などに勤めたのだが、同時にまた、当然、現地の乙女達との間に、いわゆる行きずりの恋が生まれることも多かったらしい。 
由来書によれば、天平9年(737年)、時の出雲の守、門部王(かどへのおおきみ)は、国府の任を終えて、都に帰ることとなったとき、現地妻だった乙女に当てて、

おうの海の潮干の潟の片念(かたもひ)に 思ひや行かむ道の長手を

と言う、万葉集にも残されている恋歌を贈っている。 
勿論、贈ったのはこの恋歌だけではなかったことと、私は切望して止まないものがあるのだが。
門部王は都へ帰る長い道中で、ふと休んだ道端の芝に座したとき、別れてきた出雲の乙女とのもろもろのことを思い、そこに和歌が生まれ、そして文学が生まれたのだ、と言うことになる。

現代社会の中で、例えば、熟年離婚などするならば、その時、お互いに、和歌の交換などしてみたら如何なものだろう。 現代万葉集が出来るかも知れない。

Michishiba_2

(写真は銘菓 路芝 長さ約6cmです) 

 
            

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2008.08.07

リンパ浮腫 その不可思議:リンパ浮腫が消えた

リンパ浮腫 その不可思議:リンパ浮腫が消えた

多くの場合、ガンの手術後や放射線照射治療を続けたりすると、ある日突然のように、いわゆる現在では、「不治の病」と言われる リンパ浮腫 が出現することがある。
私にこれが出現したとき、一晩のうちに、両脚が足の裏まで腫れ上がり、ダルマさんのようになって、歩けなくなった。 これには驚愕し狼狽した。 掛かり付けの医師の下に駆けつけたが、医師もこれを見て、冷や汗をかくほどに驚き、即日入院の手続きをしてくれた。
最初は従来の心不全に起因するものとか、或いは血栓性静脈炎とか、いろいろ疑い、いろいろな処置を受けたりしたが、結論的には、これまでの数回の手術などの、広い意味での後遺症の一つとしての、リンパ浮腫と判断されるに至った。

心配した私の卒業生の一人から、「リンパ浮腫がわかる本」という、この方面の専門家が書いた良書があることを聞き、早速に購入した。 その中に治療法のいろいろが図入りで記載されている。 汗をかくようにして、入りにくい弾性ストッキングを装着し、マッサージを繰り返す。 

関東地区には多いが、ここ京都には、リンパ浮腫の病院もなければ、クリニックもなければ、リハビリする所も無いという。 仕方なく本を見て、自己マッサージを繰り返す。 脚を挙上して眠ると確かに、翌朝には腫れは引いた様になるが、夕方から夜に近づく頃になると、再び浮腫してくる。 これの繰り返しである。 特効薬的なものもなければ、積極的な手術も特別な場合を除いて、一般には存在しない。 だから自己マッサージによる「不治の病」との、一生かけてのストラッグルとなる。

調子の良さそうなときには、外出することは出来るが、大抵はその後、浮腫が再現してくるので、先ずは遠出も出来ない。 専ら自宅で、自己マッサージに努め、家の周りの、または家の中の用事をしたり、時々脚を挙げて寝ころんだり、と言う全く非建設的な生活状態となってしまう。 これでは大抵の人は、メンタル的に落ち込んでしまい、尊厳死を考えたりするようにもなったりする。 不治の病、リンパ浮腫はその意味で実に実に厳しい病気である。

この状態のまま、ある日突然、実際には7月24日、胆嚢炎の疑いありとのことで、再び京大病院に緊急入院することになった。 弾性ストッキングは装着したままである。 そしてその日より、4日間の断食、500cc の水かお茶以外は一切、口に入れてはならないことになった。 加えて、心臓不全を防ぐために今まで通り、利尿剤の服用は要求された。 治療処置として、ブドウ糖の点滴の連続と、抗生物質(スルペラゾン)の点滴が繰り返された。 大容量の点滴に加えて、利尿剤の作用のために、連日、大容量の排尿が、夜となく昼となく繰り返された。 熟睡は殆ど不可能であった。 このために、体重は見る見るうちに激減し、(4日間で5kg減少)体は正にガイコツの如くになった。

しかしながら、何と、この段階で、両脚の浮腫も完全に消失し、両脚は腫れどころか、山田の中の案山子の様に、細い足の棒となってしまったのである。 リンパ浮腫の症状は完全に消失したのだった。 リンパ浮腫の治療には「断食」「摂水制限」がよい療法であるとの一つの発見であった。

断食は4日目より、3分粥と食事も復活した。 ブドウ糖の点滴は中断されたが、抗生物質の点滴は、今暫く継続された。 医師の先生方のお蔭で、問題の胆嚢炎も消失し、13日目には退院することが出来た。
そして現在に至るまで、私の両脚はスリムなままであり、浮腫の傾向も完全に消失したままである。 今後の生活の中で、果たしてリンパ浮腫がこのまま消失するのか、或いはまたある日突然、また復活するのか、果たしてどうなるのか、今後の興味ある問題である。

リンパ浮腫にはいろいろなパターンがあるので、私のこの体験が、全てに共通するとは、決して思わないが、一つの価値ある発見であることには間違いない、と思う。 このブログ「大凡人」が、今、リンパ浮腫で悩んでいる人達に、もし役立つことが出来れば、幸甚である。

 

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2008.08.06

カミナリさん

カミナリさん

最近雷さんが、日本のあちこちで暴れていて、その話題が多い。 

今は昔。 私がまだ子供の頃、我が家の前に、寺井カノさんという おばあさんが 一人住まいされていた。 カノさんの大の苦手は、雷さんであった。 京都の夏、その頃はよく夕立があって、雷が鳴った。 
雷鳴が聞こえ出すと、いつも必ず、カノさんは我が家に避難されてきた。 別に我が家に避雷針があるわけではないが、とにかく、我が家の皆と一緒にいないと、独りでは雷が怖いとのことである。
その頃の私は、むしろ雷や稲妻の、あの男性的な轟きが好きで、夕立は大好きであった。 夏のある日、確か夏休み中だったと思うが、たまたま私が一人で留守番をしているとき、夕立となり、カノさんが我が家に避難されてこられた。 私はこんな子供一人だのに、カノさんのために 役立つのかと思い、なんだか自分が偉くなったように思ったものだった。

カノさんは終戦後、食糧難の中、老衰で亡くなられた。 末期の水は、私の母が捧げたアイスキャンデーで、カノさんは「オイシイ オイシイ」と、言いながら亡くなられたのであった。 合掌。                                                         

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