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2008.03.29

いじめ その3

いじめ

今朝早く軽い散歩をした。 電線に2羽のツバメを発見した。 今年の初ツバメである。散歩道では、日替わりで、春の発見があって、思わず感激してしまう。 今年は、特に、もしかしたら逝ってしまっていたかも知れないと思うので、一層思いこみが大きいのかもしれない。

散歩道には、子供の頃の思い出がある。 今で言う「いじめ」られた思い出である。 何故かしら、ボクが気に障ると言うので、年上の夕刊少年がボクを捕まえて、やや遠く離れた太田川筋にある、或る一軒家まで、この夕刊を配達してこい、との命令である。 その睨みが怖くて、ボクは真面目に配達をした。 思えば、夕方、好きに遊び回っているいるボクを見て、夕刊少年は癪に障ったに違いない。 ある意味では、教育的ないじめだったのかも知れない。 

その思い出の家は、70年後の今もある。 今は誰も住んでいないみたいである。

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2008.03.21

冬過ぎて

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冬過ぎて

梅花はすでに春雷に濡れて落ちなんとし、桜花は春雨に濡れてその蕾を漲らせる の候となった。 この日(3月21日)、春陽は暖かなれども北風が強く冷たい。 風が治まれば軽い散歩など試行せんと思えども、今暫くは如何ともなし難し。 駄洒落の歌でも作って遊ぶべし。   


  冬過ぎて春来にけらし桜木の 蕾ふくらむ鴨の川道 

後、矢張り春陽に誘われて、久しぶりに植物園を訪ねた。 花の絨毯があり、柳の新芽が風にそよいでいた。 中でもメキシコ由来の五葉松が、この時期独特の白銀の輝きを見せていたのは印象的であった。 

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2008.03.17

連休

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(写真は日本農芸化学会 会誌 化学と生物 3月号表紙より)
左は正常な大動脈、右は大動脈瘤の写真です。

連休

日本の暦では連休が多い。 とりわけ最近では、3連休はザラである。 世間ではこれが人生の丸儲け(?)のように、謳歌されニュース番組の特ダネともなっている。 が、私のような後期高齢者で、病歴の多いものには、実は連休は恐怖(?)ですらある。 何故かしら連休の前になると、何らかのトラブルが発生することが多いように感ずるからである。

 自分のことを知ってくれている、いつもの医院も病院も「本日休診」で、駆け込むところがない。 だから常日頃から、自分の病気を研究しておいて、それまでにため込んだ、医師からもらっていた薬を自分で適当に、服用するしか仕方がない。 

世の中には、連休を怖れる人もいると言うことである。

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2008.03.15

眠れない夜のために

眠れない夜のために

長い入院生活の中では、”部屋替え”もよく経験する。 いわゆる”大部屋”では、自分も含めて、多種多様な患者さんが居るので、消灯時間など決められていても、それでは「ハイ」と、なかなか安眠出来るものではない。 患者本人も、自分の病のこと、家族のこと、これからのこと、と心配しても仕方ないことを、つい考えたりするので、なかなか寝付かれない。 加えて、同室患者の突然の異変によるナースコールが鳴り響いたりするので、安静状態を維持するのは、大抵の場合、難しい。

医師は「たとい睡眠できなくても、横臥しているだけでもよいから」と宥めの言葉を下さるが、凡人には無念無想で横臥だけするというのも、これ又難しい。

今度の長い入院生活中、そんな時私は、かの「いろは」を頭の中で逆に読むことを試みた。正調:
いろはにほへと ちりぬるを わがよたれそつねならむ う居(イ)のおくやま けふこえて あさきゆめみし恵(エ)ひもせす
これの逆調は:
すせもひ恵(エ)し みめゆきさあて えこふけまやく おの居(イ)うむらな ねつそれたよが わをるぬり ちとへほにはろい

これを頭の中で、試行していると、先ずは大抵いつの間にか眠りについている。

皆さんも一度、試みてみませんか?

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2008.03.04

どっこい生きている

どっこい生きている

ブログへのアップが無くなると、人は誰しも、さては異変(例えば死)があったのではないかと、思うて当然である。 このブログがその典型例かも知れない。 確かに異変があり、確かに死への問題がった。 

前述のように、今現在は、幸いなことに退院して自宅療養の身である。 が、自宅にあっても、絶対安静に近い慎重さでもって、しかも前向きに、ゆっくりと、しっかりと養生している段階である。 この間、多くの方々から、メールや葉書や封書でのお見舞い、激励を戴いたが、入院治療中は、とても Res するわけにもいかず、この点、不躾、失礼が続いたことをお詫びいたします。 

そして皆様方からの御支援、本当に有り難く 厚く御礼申し上げます。

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2008.03.03

誕生日が5つ

誕生日が5つ

生日が5つになった。 私の真性の誕生日は(その時のことを自分がしっかり覚えているわけではないが)8月3日午前2時と記録されている。 2つ目の誕生日は、1971年10月19日である。 この時の誕生は自分でもしっかり覚えている。 この日、神戸大学病院心臓外科教室の麻田教授の御執刀を得て、私の心臓の僧帽弁が人工弁に置換された。 当時、この種の手術は未だ実験段階にあり、私の場合、前後3ヶ月に亘る綿密な検査、手術、治療を経て、無事に退院でき、社会復帰することが出来た。
3つ目の誕生日は、1988年4月8日である。 4月8日はお釈迦さんの誕生日でもある。 私はその日、松江日赤で2回目の弁置換手術を受けたのであった。 2回目となると、さすがに、難産であったが、当時の松田部長の的確な処置により、甦ることが出来た。 4つ目の誕生日は2001年6月21日である。 当時、満70歳ともなって、松江から故郷の京都に還り、ホットした矢先であった。 当時、京大医学部付属病院の心臓外科教室には、米田教授が居られた。 教室の全スタッフ、看護師さんの緊密な連携のもと、私の心臓には、僧帽弁の他にも異常を来していた大動脈弁の人工弁への置換も行われた。 これを心エコーで観察すると、2つの人工弁が巧みに協調して動いてくれているのを見ることが出来る。

そして今回、5つ目の誕生日は、2008年2月13日である。 昨年末から、京大病院循環器内科で入退院を繰り返していたが、先生方や看護師さんの極めて正確、懇篤な処置にも拘わらず、内科的には、治療不能の段階に達していたのだった。
この時、前教授 米田先生は豊橋のハートセンターにスーパーバイザーとして在勤されておられた。 娘を通じて、連絡を取ったところ、直ちに手術すべきであるから、緊急に来院しなさいとのアドバイスを受けることが出来た。 2月12日早朝、、京大から直接、豊橋ハートセンターへと酸素吸入を続けながら走り、転院したのであった。 この時の、京大循環器内科の先生、看護師さんの皆さん方の懇篤な御配慮には、厚い感謝の念でイッパイである。
息子の車は早朝の名神を走り、正午には、豊橋ハートセンターに着いた。 必要な検査のみを受け、米田先生からは家族全員に対して、実に明確な説明を受け、質疑応答が繰り返され、そして、私も家族も充分に納得し、安心して、翌、2月13日、4回目の心臓手術を受けたのであった。

米田先生の御執刀とセンター全スタッフの強力なサポートのお蔭で、この日が私の5つ目の誕生日となったのであった。  手術直後から、いずれも初めての豊橋にあって、吾が妻、娘、息子夫婦らが、とりわけ妻は私と同年齢でありながら、豊橋に連泊し、私と同じ病院食を食べて、「減塩食」と言うものを研究しながら、私に付き添い、介護してくれたのであった。 

入院してから、18日目、4年に一度の2月29日(大安)、再び家族全員で京都の自宅に帰還することが出来たのであった。 聞けば、スタッフの先生方の間でも、開胸心臓手術、3回というのはあるが、4回目というのはさすがに少ないと言うことであった。  

ちなみに 神の手 とも言われる 米田先生のホームページは下記にあるので、参考になさって下さい。

http://www.masashikomeda.com/ 

なおまた、私の娘の立場からのドキュメンタリーが、下記に記載されていますので、興味のある方はご参照下さい。

http://megumu.tea-nifty.com/  

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