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2007.08.25

53年前の訓辞

53年前の訓辞

Kunji3

1954年の日記が出てきた。 この年、私は、新制の京都大学を卒業した。 卒業式の記述があり、そこに、その日の滝川学長からの学長訓辞の要旨が記されている。 滝川学長の演説要旨は次の様であった。

「自主性を持ち、イエスとノーをはっきり言え。 次ぎに自分のペースで歩むことを希望する。 ペースを乱して他人を追い抜こうとするのは不幸の原因になる。 こういう出世主義を捨て、平凡な人になることに努力されたい。 最後に諸君が他人からタダの酒を御馳走にならぬように戒める。 いま政界で疑獄事件があるが、すべてタダの酒を飲む習慣から起こったものだ。 諸君は自分のゼニで酒を飲むことが大切だ。」昭和29年3月24日、朝日新聞より)

この日の卒業生は、新制8学部 1,520 人と医学部など旧制の残留学生 124 人、計 1,644 人であった。 あの当時の日本も疑獄事件で騒がしかったのだが、あの時の学長訓辞が、今の世でも、そっくりそのまま当てはまるから、蓋し名訓辞であったのだ。 とりわけ「タダ酒を飲むな」は今の世に、そしてこれからの世にも通じる至言であろう。

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2007.08.21

プリンストン

プリンストン

先日の新聞(産経)は、アメリカのプリンストン大学が、総合評価で全米第一位と評価されたと報じていた。 嘗てそのプリンストン大学に在籍していた者としては、嬉しいニュースである。 勿論私の在籍は大学の評価とは関係ないが、それも全然、全く関係ないが、新聞の記事は嬉しかった。 評価された現在のプリンストン大学は、私が在籍していた40年前のプリンストン大学とからは、一大変貌していることだろうが、懐かしさは大きい。

http://www.tanigawa.com/corgi/Princeton/guidenaasauhall.htm

私は核物理学の湯川博士とは異なって、化学その中の生化学部門でのResearch Fellowとして、1年間滞在していた。 研究室のボスは真面目なスイス人だったが、お互い言葉がスムースには通じなくて、困った。 生化学の研究実験内容についての対話は、白板に書いての説明などで通じるが、日常会話がぎこちないのである。 しかし、彼が例えば私の悪口を言ってるときは、却ってよく解らないことが幸いしたこともあった。 私も、彼の悪口は日本語で呟き、実験ノートに書いた。 もっともそのノートは、私が帰国するとき、彼が「置いていけ」と命じたので、そのまま置いてきたのだった。 呵々大笑。

当時、プリンストン大学には、日本からも、沢山の研究者や留学生が来ていて、心強かったし、実際、入国からプリンストンを離れるまでの期間、いろいろと世話になったものだった。 1年間のプリンストン生活では、実にいろいろな出来事があって、何れも忘れ難いものであるが、それらの中で、先ずは前代未聞の貴重な体験談をここにアップしてみましょう。
(もっともこれは既に、私のホームページのエッセイ欄の最後の方に出ているのですが、このところの傾向として、ホームページそのものへのアクセスも少ないので、皆さんの目に届いてない確率が多いと思います。 もっとも一度読まれた人にも、何回読んでも面白いし、役に立ちますよ)

§ ハイデオ・オチャイ (Hideo Ochiai)

 プリンストン (Princeton) から大西洋岸の港町、ポイント・プレザント (Point Plesant) まで約 100km ある。 ポイント・プレザントには鮮魚店があって、例えばサシミが食べたいときには、ここまで車を駆って買いにゆくのが、当時プリンストン大学在籍中の日本人達の習わしだった。  わが家の愛車 Ford; Fairlane, NAX-365 (Garden State) は元ハイウエイパトカーの中古車であり、小型のタンクのように頑丈で、そこそこよく走る。

 1968年3月23日、今日は研究室のテクニシャン達を、わが家に招待すると言うので、朝からポイント・プレザントまで買い出しに行くことになった。 一緒に行くと言うわが家の子供二人を後部座席に乗せて、プリンストンを発車したときは天気は良かったのだが、小一時間走ってハイツタウン (Hightstown) の町並み Stockton Street に入ったときには、一天俄かにかき曇り、集中豪雨もどきとなった。 アメリカ東部ではよくあることで、雨の強さは激しくライトを点けても前がよく見えない。 緩やかな下り勾配である街中の 40 miles/h の道路を、20 miles の速度で徐行していたのだが、突如、降りしきる雨の中から突っかかるように対向車が飛び出してきた。 慌てなくてもよいのに、吃驚してハンドルを右へ切ったのがいけなかった。 路肩に乗り入れ、ウワッと思ったとき既に遅く、電柱にぶつかってしまった。 運転台の赤ランプがパットついたのが印象的だった。

 後部座席の子供達二人が座席下に転がり落ちたが、幸い怪我はなかった。 車の外は大雨の最中である。 電柱はビクともしてないから、後退して脱出しようとしたが、車の前部が押しつぶされてファンが回らない。 車の外に出て、マジマジと見てみたが、成るほどこれではどうにもなりっこない。 思案していたら、顔を出した前の家の人が警察を呼んであげると言う。

 私達3人はパトカーの後部座席に乗せられた。 パトカーは前部座席との間に金網のある例の代物でサイレンを鳴らしながら走る。 何のことはない、子供達は、アメリカのパトカーに乗ったのが嬉しくてはしゃぎ合っているのが、パニック状態の私の気持ちを助けてくれる。 ポリスステーションに着いて係官から何やかやと質問されるが、自己紹介は出来ても、相手の言うことが今一つ判らない。

 例えば彼は「電話せよ」と言うのに「touch cable」と言う。 そんな英語を私は知らないから、これは私の事故車を有難いことにプリンストンまで運んでくれるので、「ケーブルを連なげ」と言っていると解釈するという具合いだから、益々話が判らなくなる。 最後に係官が一枚の紙切れを渡してくれた。 車の預かり証だと思って、大きな声で「サンキュウー」を言って帰った。 帰宅後、英和辞典を出して、その紙切れの説明を読んだ所、なんとそれは「careless driver の罪により裁判をするから10日後に、Hightstown の裁判所に出頭せよ」との召喚状 (Summons) であった。

 研究室のボスは、裁判では「I am not guilty」を貫けと入れ知恵してくれたが、何と沈欝な10日間であった事か。

 10日間は専ら自己弁護の弁解文の英作とその丸暗記に費やした。 裁判所は驚いたことに満員であった。 同じような運転違反者の即決裁判が行われるらしい。 中央に黒い法衣を着た裁判官が座っており、検察官席と、事務官および罰金の集金係のおばさんがいる。 アメリカ国歌の奏楽の後、最初に呼び出されたのは車同士の衝突事故で、どちらに責任があるのかという裁判であった。 ユダヤ系のご婦人は恒例のバイブルへの宣誓を断わった。 裁判官は宗教が違うのだから仕方ないとの説明を了承して、それでは真実を述べることだけ誓いなさいと言うことで尋問が始まった。 両方は聴衆が驚くぐらいにケンケンガクガクと言い合っていたが、最後にはユダヤ教のご婦人が勝った。 相手方の夫妻は20ドルの罰金を払わされた。 集金係のおばさんが「サンキュウ」と言ってそれを受け取る。
 2番目は赤信号無視のおっさんであった。 彼は大きな声で、まくしたてて無罪をかち取った。

 3番目に「ハイデオ・オチャイ (Hideo Ochiai)」が呼び出された。 私の登板である。 裁判官の前に立つ。 最初に真実を述べることを誓うために聖書に手をおくのだ。 私も別段キリスト教信者ではないのだが、その説明をする「英作」はしてなかったから、映画の場面を思い出して、とにかく「Yes, I do」とやりすごした。 私の時の検察官は、何とあの事故の時のパトカーのポリスさんであった。 彼は、黒板を使って、事故の説明をした。 裁判官がそれを聞いて、私に向かって「今の説明に異議はないか」と尋ねる。 いや尋ねているみたいに聞こえる。 裁判のことだから、イエスとノーをはっきり言わねばと思って、裁判官の言葉を反すうしていたら、彼は私が黙秘権でも使うのかと思ったらしく、答えないとこのコートを侮辱するものと判断するぞと言ったものだから、これはいけませんと、10日間の英作文を披露し始めた。

 「そのときは土砂降りだった。 私は20マイル以下で走っていた。 対向車が猛スピードで飛び出してきたのが悪い。 Therefore I am not guilty」などなど私も黒板を使って、それこそ京都弁の英語で何回も同じ台詞を繰り返した。  そのうち裁判官が苦笑しだして短く「You are not fined.」と言った。 

fine はファインプレイの fine しか知らなかったから、私はまだ弁明が足りないのかと思ったが、どうもコートの中の雰囲気が変わった見たい。 罰金係のおばさんが「もういいですよ」と言う合図をしてくれたので退出となった。 後で fine には「罰金を課す」と言う意味があることを始めて知った次第。 かくして「ハイデオ・オチャイ」は無罪放免となった。 

このときハイツタウンまでエスコートしてきてくれた留学生の三浦さんは、帰りの車の中で「落合さんは正直そうに見えるからトクですね」と、言っていた。                        

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2007.08.18

Nothing to do

Nothing to do

今年の京都は、猛暑日が連続した。 これは全国的でもあったが、老生の心臓には実際堪えた。 メディアは熱中症を避けるために、「こまめに水分を採り、外出を控える」ことを推奨し続けている。 この推奨を真面目に実行することは、自身が熱中症になることを避けるので、つまりは救急車など、人様に迷惑をかけるのを防ぐことになるのだと、自身を納得させて、生活している。 

外出を控えることは、つまり、家の中での生活となる。 新聞を読み、読み残した本を読み、時間を潰す。 が、情け無いかな、必ず睡魔に襲われる。 熱帯夜の連続で、夜も熟睡が出来てないことにもよるのであろう。 さん候、家の中で体を動かすべしと、仔細な家事や玄関の打ち水をする。 それが終われば、テレビの高校野球を見る。 この酷暑の下での球児達の動きには「美」があり、感動がある。 が、自身は動かず、何らの成果もない。

パソコンを立ち上げ、メールを見る。 「新着メッセ-ジなし」はガクンと淋しい。 一方、来信があると嬉しい。 返信を打つ。 もし、自身にパソコンがなかったら、この時期、何をして時間を費やすのだろう。 パソコンという朋があって良かったと、つくづく思う。 頭がボーとしているときには、囲碁ゲームで遊ぶ。 これまた、負けると癪だから、結構本気になるので、自身のボケ防止には有効だと思う。 そして日が暮れていく。

今日一日を思い返してみて、記すべき成果は何もなかったことに気づく。 Nothing to doである。 四字熟語で云えば、無為徒食、酔生夢死、なのだが、そう思うと余計に、侘びしい。 
そこで、こじつけになるが、こう考えることにした。 「こまめに水分を採り、外出を控える」のはつまり、入院中と同じである。 捲土重来、復活を期して、入院静養しているのと同格である。 つまり、今日の Nothing to do は、来るべき秋に備えての
Something significant
 だったのであると。 

やがて、23日は処暑である。    

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2007.08.16

Photo_2 

8月16日、京都では五山の送り火がある。 送り火にはいろいろな字があり、形があるが、私はそれらの中では、松ヶ崎の山に顕れる「妙」の字が一番美しいと思う。 写真は数年前に、松ヶ崎海尻町まで、走っていって、近くから撮ってきたものである。 暗黒の山肌に、この「妙」の大きな字が一気に、突如として紅く顕れたときの感激は、筆舌に尽くしがたいものだった。 

ところで、この送り火に見る「妙」は、本来 南無妙法蓮華経 の妙である。 事実、送り火の「妙」は、松ヶ崎東町の山に顕れる「法」の字と、一対なのである。 

解説書によれば、妙法とは梵語のサッダルマの訳であり、サッダルマは、サットとダルマの合成語、そしてサットは、正しい、真実の、勝れた、というような意味であり、ダルマは、法、教え、という意味である。 つまり妙法とは「正しい教え」を意味しているとのことである。

いずれにしろ、この送り火と共に、ご先祖様がまた、浄土に帰られる。 浄土がどれほど遠いのか、或いは、近いのかは判らないけれど、何かしら、身近にご先祖様が居てくださると思うだけでも、心強いから不思議なものだ。 

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2007.08.10

BGM

BGM

日本では、或いは世界共通かも知れないが、法事の時には黒を纏う。 法事に参加して、いつも感じることだが、黒を装った日本婦人は、いつも美しいと感じる。 普段美しい人は、更に美しいと感じる。 法事という場で、誰しも、慎ましく装っているから、一層、美しく感じるのかも知れない。 美しいことはいいことである。

法事の時、いつも感じるのはまた、お坊さんの唱えるお経である。 「南無阿弥陀仏」は解るけれども、あとのお経は、殆ど何も解らない。 当のお坊さんは勿論理解されていて、新佛さんに対して、心構えなど説教されているのかと思うのだが、あの梵語調のお経の言葉は、多分、どの新佛さんも、そして法事に臨席している誰にも、理解できてないのではないだろうか? 

凡人にも理解できる「お経」をこそ、唱えて欲しいものである。 さもないと、法事の時のお坊さん達による「お経」は、儀式に於ける、単なるBGMとなってしまうのでないだろうか。 お坊さん達の御意見を聞きたいものである。

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2007.08.06

原爆の日

原爆の日

8月6日は原爆の日である。 いろいろと追悼の行事が多く、核廃絶の誓文が読み上げられる。 核の平和利用だけでも、いろいろと問題が多いのに、ましてや、人間を殺すことを目的とする戦争での核使用では、即、人類滅亡、いや、人類を含めた地球生物の滅亡に繋がるので、これは絶対にしてはならない。

およそ戦争では、結果的に、一方では戦勝国が、他方では敗戦国が出る。 これまでの歴史では、敗戦国は常に、「悪」であり、戦勝国は常に「正義」であった。 その時の敗戦国の代表達は、「人道に対する罪」とかで、裁かれ処刑される。 

戦勝国がその戦争で、如何に「人道」に反するような手段を使ったか、などのことは裁判では議題にもされない。 戦勝国が敗戦国の捕虜や民衆に対して、如何なる暴虐を行い、強制労働をさせたかについても、無視してしまう。 要するに、なんでも「勝てば官軍」なのである。 

原爆の日に、その被害者を追悼し、核廃絶をアッピールすることはよい。 よいけれども、それ以上に、今、被爆国日本は、原爆を使用したことこそが、「人道に対する罪」なのではないのかと、何故 アッピールしないのか?!

戦後、満州にいた日本軍、その捕虜達を騙して、シベリヤに連行し、強制労働させたこと、これもまさしくジュネーブ協定違反、「人道に対する罪」ではなかったのか?!

それらが無視されるのは、我が国が敗戦国だからである。 この戦争で得た教訓は、「負ける戦争はしないこと」と言うことだけである。

§ 小川さんのこと

広島の原爆の日が来ると、いつも思い出すのは「小川さん」のことである。 修学院地区の青年会「艮麓会」(下記アドレス)での先輩であったが、戦時中のことであり、学徒出陣されて、その時、広島に駐屯されていた。 原爆の投下で、広島が壊滅したとき、軍の指揮官として、いち早く被爆地に入り、死の灰が降る中、多くの被災者達の救済に挺身されたのだった

 
http://kousei.s40.xrea.com/xoops/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=510&forum=13&post_id=2166#forumpost2166

小川さんは終戦後、京都に復員されてから大学に復帰し、卒業後、就職されていた。 が、次第に後発的な原爆症障害に悩まされ、次第に重症となり、遂にある新緑の日に、美しい故郷 修学院を見下ろせる山の中で自死されたのであった。 合掌。
私がまだ中学校に歩いて通っていたとき、自転車で通勤されていく小川さんが、わざわざ自転車を降りて、声をかけてくださったあの時の情景が、今も忘れられない。 再び 合掌。 

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2007.08.03

8月3日

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8月3日

午前4時32分に目覚める。 76年前の今頃は、小生、誕生して、この時刻には、産湯に浸かりながら、壮んに泣いていたことだろう。 臍の緒の箱には、午前2時誕生と記されている。 満76歳の誕生日、吾ながら目出度く、有難いことである。 ここまで吾を支えてくださった萬を越える人達、森羅万象に厚く感謝申し上げたい。

先日の報道によれば、日本人男性の平均寿命は、79.0歳になったそうである。 この所、だんだんと延びて行っているそうだが、とにかくまだ平均に達するまででも、あと満3年はある。 平均までは頑張らねばなるまい、と思う。

さて何に頑張るのか?! It is a question!

 

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2007.08.01

末は博士か

末は博士か

「末は博士か大臣か」と、将来を嘱望された子供達が居た。
刻苦勉励、努力を重ねて、博士号を獲った。 が、今の世、現実は厳しく、博士の多くが、「オーバードクター」として、その日暮らしを強いられている人達が多いと聞く。 定職、定収入がないのである。 若い頃、私自身、その、「オーバードクター」を2年間経験した。 ので、その苦歎の日々のことは、よく理解できる。 

大学時代に得た日本育英会からの奨学金、その返還は、1年間は事情によって猶予してもらえるが、2年目からは、事情の如何に関わらず、生きているのであれば、取り立て、返還催促が来る。 何度も何度も来る。 これは辛かった。 

1週間に一度、職安(今のハローワーク)に通い、アルバイトをしての生活だった。 当時、西陣にあった職安に、自転車で出頭していたのだが、その自転車が、ある日パンクしてしまい、それを自転車屋で修理するための現金の持ち合わせも無く、困惑した日のことなど、今となっては懐かしく思い出される。

「若いときの苦労は買ってでもせよ」と、父は説き、博士号の他にも現実的な「資格」を修得することを薦め、二人して「危険物取り扱い主任者免状 甲種 全類」の試験を受けに行き、二人して合格したときは、嬉しかったし(昭和35年3月17日)、これからの人生に対しての勇気を得た感じだった。 父にはこうして、人生を生きる ことを教えてもらったのだった。

今、NHKの朝ドラ、「どんど晴れ」の評判がよい。 私も毎朝見ているが、今のオーバードクターの人達にも、「どんど晴れ」となることを祈って止まない。

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