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2007.06.22

皐月のあやめぐさ

皐月のあやめ草

(写真はいずれもクリックすれば拡大されます)

Panorama128 

今年の夏至は大雨となった。 日照りが続いていたので、田圃の蛙が喜んでいる。 蛙だけでなく、稲も野菜も、そして四国の水貯めダムも喜んでいる。 矢張り梅雨時には、雨は降らないとイケナイのだ。 
その梅雨時に、昨日は、修学院地区の老人連合会のバスツアーで、奈良県滝谷のしょうぶ園へ出掛けてきた。 何故かしら、その昨日は、晴れ上がり、むしろ真夏の様な陽射しに閉口するほどであった。

近鉄三本松駅の近く、宇陀川の上流、こんな山奥に、一万株の花菖蒲園がある。

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あじさい園もあるのだが、あじさいの花は折からの陽射しに、打ちひしがれていた。 あじさい園の名誉のために、一つだけ日陰の名花を写真に収めた。

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この日、花しょうぶ園は、我々も含めて、不思議なほどに老人達でイッパイであった。 ここの管理者は、或いは、全国の老人クラブ連合会に、宣伝しているのかも知れない。

私は高校生の頃覚えた古今和歌集の和歌を思い出していた。

Hime1

ほととぎす 鳴くや皐月の あやめぐさ 
      あやめもしらぬ 恋もするかな

実際、今、老人達に必要なのは、恋をするほどのお色気だろうと、思う。 

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2007.06.18

御神詞

持田神社

Norito24

松江に住んでいる頃は、毎朝、西川津の我が家から、持田の丸山神社(持田神社)までウオークに出掛けた。 同じ町内からも同じ方向に歩きに出る人達が、結構多くて、道すがらよく挨拶もし、時に同行したりして、楽しい朝の散歩となっていた。
その持田神社までの道を、今回のセンチメンタル・ジャニーの一環として、再体験してきた。 松江市も持田地区まで来ると、その雰囲気は昔と全く変わっていない、のが嬉しい。 田舎道を辿って、持田神社の鳥居が見えたとき、その昔ながらの佇まいに思わず感動の声が出た。 御神詞を読み上げ、神様との再会を喜び合ってきた。

Mochidashrine_1   

持田から見渡す周辺の山並み、実はどの山にも思い出がある。 家族でレンゲ摘みに出掛けて、何故かしら、そのまま登り切ってしまった、大平山、父も登った枕木山、学生達と、そして単独でも縦走した北山の連峰、例会のようにいつも登っていた嶽山、あそこから見下ろす中海の景色はよかった。 南に見える山並みの中で一番高いのは、天狗山(天宮山)である。 古代史の川、意宇川の源流が出ている。 ここに西村重喜君らと登ったとき、あの時聴いた「三光鳥」の囀りは、今でも、素晴らしい思い出である。

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松江市も周辺の町村合併で、あれから大きくなっている。 人口も以前は14万だったが、今や20万とのことである。 島根原発のある鹿島町も、關の五本松の美保関も、今は松江市とのことである。 国際文化観光都市、松江の発展を祈りたい。

 今はもう誰も歌わないが、むかし、松江の人から教えてもらった、松江の唄がある。

       松江夜曲

  一  松江大橋 唐金 擬宝珠
     なぜに 忘れぬ 忘られぬ
     さくら春雨 相合傘で
     君と眺めた 嫁が島
     マツマツ松江は 君を待つ

   二  二夜逢わねば 眠れぬ枕
     ひびく 櫓の音  波の音
     恋の湖 雨戸を 開けりゃ
      月に ほんのり 千鳥城
      マツマツ松江は 君を待つ

   三   松江自慢は 小泉八雲
     のこる縄手の 島屋敷
     今も咲きます 国際愛の
      色香なつかし かきつばた
      マツマツ松江は 君を待つ

    四  水は美し 人情はやさし
     松江絵の町 湖の町
      大社詣りの つい日が延びて
      七日眺めた 松江富士
     マツマツ松江は 君を待つ
                     

                     作詞  西条八十
                     作曲  古関祐而

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2007.06.17

センチメンタル・ジャニー

松江

何年ぶりかで訪れた松江は、この日も細雨に煙っていた。 しかし、宍道湖は、この日、静かで、湖面に松江城が映るほどであった。 宍道湖にかかる宍道湖大橋には、屋根付きの展望デッキも出来ていて、ここから見る嫁が島は昔と変わらぬ情感を漂わせていた。 

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Yomegashima_1 

私が島根大学に勤務していた頃、研究室に、あの島に下駄履きで歩いて(実際は一時潜水して)渉った豪傑がいた。 若い頃には、何か、忘れ得ぬ思い出の冒険をしておく方がいいのだ。 そんな数々の思い出を潜めながら、この日も宍道湖、嫁が島は懐かしく美しかった。

今、松江市では、市内観光用の周遊バス、レイクラインバスが走っている。 これは便利である。 宍道湖北岸の西浜佐陀には、松江ウオーター・ヴィレッジとして、松江イングリッシュガーデンがある。 久しぶりに、ここを訪ねた。 入園無料である。

Dandy

無料ではあるが、ここの内容は実に素晴らしい。 南に宍道湖を借景として、広大な敷地に今を盛りと咲き誇る花々、噴水広場、睡蓮の池にかかる白い橋、憩いの中庭に立つユーモラスな立像、温室内の「アコウ」の巨木、回廊温室に豊満に咲く薔薇とベゴニア、あらゆる角度からして、訪れる人々の心を癒してくれるのである。

Garden3

Pond_1

Garden4

Garden5

(アコウの大樹)

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(leaf flower plant)

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とにかく、このガーデン、回廊、ホールの規模の雄大さと、その美しさには圧倒される。 松江では必見の場所である。

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園内から湖岸に出ると南の方、宍道湖の広がりがこれまた素晴らしい。 昔、研究室の学生達と、ここからヨットをくり出して、宍道湖の真ん中を回遊したことがあった。 暑い時期だったから、パンツ姿になって、湖に飛び込み、泳いでいた連中がいたっけ。

私達が松江に住んでいた頃、お客さんが来ると、先ずはいつも、庭園茶寮 みな美 に案内したものである。 我々も久しぶりに訪ねた。 みな美はちょうどこの五月に、グランドオープンして、すっかり美しくなっていた。 お客さんにいつも紹介していた、ここの皆美家伝料理「鯛めし」をこれまた、久しぶりに食した。

Minami  
その御膳の相も変わらぬ美味さと共に、嘗て一緒に食事した内外の賓客達のことなど、思い出されて懐かしかった。
加えてここの庭園も、宍道湖を借景として、有名なのである。 今は、庭の向こうに先に書いた宍道湖大橋が架かって見える。

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30年近く在住していた私の松江でのライフワークは、何と云っても、松江温泉、お湯かけ地蔵さんの場所より採取してきたラン藻、シアノバクテリアの生化学であった。 その時、雨は降ってきたけれど、お湯かけ地蔵さんに御礼のお参りをし、お湯をおかけしてきた。 今では、昔の北松江、今の宍道湖温泉駅の近くに、足湯の場が設けられていて(無料)、いつも賑わっている。 私も浸かってきた。 足を浸けながらの、土地の人達との会話が又楽しいのであった。

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2007.06.11

カミナリさん

カミナリさん

この所の日本、よく雷さんが暴れますね。
先日も、中学校の山歩きイベントで、落雷があって、
怪我人が出たとか。 
クワバラクワバラ
所で、子供の頃の確か、まりつき唄に
こんなのがありましたっけ。
皆さんの方では、如何ですか?

♪♪ カミナリさんのムスコさん
    お太鼓叩いて ヘソ獲りに
       東京大阪 大地震
       ヘソはひとつも獲れなんだ ♪♪

こんなのもありましたっけ。

♪♪ ぼんさん ぼんさん 何処いくの 
    あの山越えて お酢買いに 
    私も一緒に連れてんか 
    お前が来ると邪魔になる 
    カンカン坊主カン坊主 
    後ろの正面どーなた  ♪♪ 

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2007.06.05

偶感(その4)

偶感(その4)

我々の世代では、中学校に入学したとき、即ち中学校1年生当時から、軍事教練の科目があった。 教練の教官の他に、陸軍から、配属将校も赴任してきていた。 その両方から、軍事教練を受けたし、軍人勅諭も教育された。 と言う雰囲気の中で、私も、必然的に軍人勅諭全文も暗記し、暗誦できるようになっていた。 

軍人勅諭を奉読するとき、しかしながら、子供心にも一つ不思議に思う疑問点があった。 それは、第一項の「軍人は忠節を尽くすを本分とすべし」の中にある、下記の文章である。
「抑(そもそも)国家を保護し、国権を維持するは、兵力に在れば、兵力の消長は、是(これ)国家の盛衰なることを弁(わきま)へ、世論に惑わず政治に拘わらず、只々一途に己が本分の忠節を守り、義は山岳よりも重く、死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ。 その操を破りて不覚をとり汚名を受くることなかれ」

この勅諭の文の中に、はっきりと、明治天皇は「政治に拘わらず」と、軍人を諭されているのである。 しかしあの昭和19年当時、軍人、とりわけ陸軍は、政治の中心に座し、 国政を牛耳っていた感があった。 軍人勅諭違反ではないか、と、子供心に思っていたものだった。

今、世界の諸国を見渡してみても、軍が政治を牛耳っている国は、大抵可怪しくなっている。 日本も軍人勅諭を、粛々と守っておれば、あのような敗戦の悲劇も避けられたのでないか、と思うが如何なものだろう。 

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2007.06.04

歴史的風土

Rekishiteki

歴史的風土

健康のためと言うこともあって、朝、ソフトウオークをする。 20分も歩けば、嬉しいことに、「歴史的風土特別保全地区」の中である。 音羽川を遡れば、修学院離宮、曼殊院の地区に入り、この辺り一帯が、特別保全地区なのである。 修学院離宮は上、中、下の3カ所に別れているが、その広い敷地内は、昔から、地元の農家に貸し出されている。 だから、農家の人達は、離宮の敷地内、特別保存地区内で作業されている。 昔すでに宮人達は、その情景も一服の借景として、愛でられたと言うことである。 

ところで現代、一般人は、離宮内は、立入禁止で、その辺りをウロウロしていると宮内庁 皇宮警察の警備官さんに捕まり、悪くすると始末書を取られたりする、ので気をつけねばならない。 私も40年ほど前にそんなことを経験している。

だから、農家の人と仲良しになり、その作業の手助けをすると言うことで、了解してもらえば、離宮の畑の側までは行けないこともない。 

その辺り、棚田が広がり、緑に囲まれて、喧噪はなく、今の時期、小鳥の囀りと、時折の河鹿の涼やかな鳴き声も聞かれる。  別天地である。

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Tanada1

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更に音羽川を遡ると、瀑布がある。 この日、山の奥から、「つつどり」の長閑な鳴き声が聞こえてきていた。

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2007.06.02

偶感(その3)

偶感(その3)

偶感(その2)の別表に記したように、朝の点呼の後は、全員、遙拝所に於いて「勅諭奉読」をするのであった。 軍人勅諭を大声で奉読するのである。 毎朝奉読するので、すでに全文暗記してしまっている。

人勅諭は、帝国軍人としての節義を説いたものであるが、具体的には、「忠節」「礼儀」「武勇」「信義」「質素」の必須性を挙げている。 一般的に我々は、これを「忠・礼・武・信・質」として覚えていたものである。 
しかし考えてみれば、又、その軍人勅諭を読み返してみれば、この「忠・礼・武・信・質」は、何も軍人だけに限ったことではなく、今、現代の、廣く社会人一般にも通用する、必要な事項である、ことが多い。 その全てを今此処に挙げるのは控えるが、一つだけ、代表的なものとして、「信義」のなかの文を書きだしてみる。

「信とは己が言を践行(ふみおこな)い、義とは己が分を尽くすを言うなり。 されば信義を尽くさんと思わば、始めよりその事の成し得べきか得べからさるかを審(つまびらか)に思考すべし。 朧気(おぼろげ)なる事を仮初めに諾(うべな)いて、よしなき関係を結び、後にいたりて審議を立てんとすれば、進退谷(きわま)りて、身の置き所に苦しむことあり。 悔ゆるとも其の詮無し。 
始めに能々(よくよく)事の順逆を弁(わきま)え、其の言は所詮 践(ふ)むべからずと知り、その義はとても守るべからずと悟りなば、速やかに止まるこそよけれ。 
古より或いは小節の信義を立てんとて、大綱の順逆を誤り、或いは公道の理非に踏み迷いて、私情の信義を守り、あたら英雄豪傑とも禍(わざあい)に遭い身を滅ぼし、屍の上の汚名を後世まで遺せること、その例(ためし)少なからぬものを、深く警(いまし)めてやはあるべき。」(雰囲気は残すようにして、現代仮名使いに直してある)

そのまま例えば、今の会社の朝礼訓辞に使えそうではありませんか。

Cyokuyured_1 

                                                                                                              

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