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2007.05.24

偶感(その2)

昔、実際それを見た。 むかし、実際それを体験した。 今の若い人達には、決して出来ない、貴重な体験であった。 
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」を、観た。 感泣の涙、涙で座が濡れた。 あの頃のあの事を知っていればこその感泣であった。

私が、大阪陸軍幼年学校第49期生であった頃、即ち終戦の年の5月頃だったが、夕方の随意運動の時間(下記記載の別表参照)に、陸軍の戦闘機一機が、陸幼上空に飛来し、低空で何度も何度も旋回した。
我々は、皆、戸外に飛び出して、旋回する機に向かって、千切れんばかりに手を振ったのであった。 そしてやがて、機は西の方へと飛び去っていった、のであった。 その人の名前は判らないが、多分、大阪陸幼の出身者で陸士、航空士官学校へと進まれた、若い少尉が中尉の人であろう、そしてその日のうちに、特攻基地へと向かわれたに相違ない、と思う。 
前にも書いたことであるが、日本はその大東亜戦争で英・米・蘭など白人諸国と戦い、そして負けた。 無条件降伏をした。 あの人達の死は、一見、無駄だったように思う人達があるかも知れないが、決してそんなことはないのである。
                   
我が国が、我が国こそが、大東亜戦争を起こしたが故に、その後、それまで白人達に支配され、略取されていた、アジアの諸国の独立を惹起させる動機となったのである。 この史実は不変である。 悠久の大義に生き、そして戦場に散華された人達よ、大いなる誇りを矜持されよ。 合掌。

(別表)

日課時限標準表

5月の例

(午前)6時      起床(起床ラッパ)日朝点呼、                                                  宮城遙拝 勅諭奉読,    掃除   兵器点検
    6時40分   寝室検査
    6時50分   朝礼朝食(週番士官の訓辞がある)
             随意時間
    7時50分   服装検査 学科集合
      8時      教授部第一授業(1クラス50人での授業である)
    8時50分   休憩
    9時      教授部第2授業(語学はフランス語を習った)
    9時50分      休憩 運動
    10時05分    教授部第3授業(数学、博物、物象)
      10時55分  休憩
    11時05分    教授部第4授業(歴史、地理、図画、書道)
      11時55分  休憩  命令受領

(午後)12時10分  昼食  診断治療
             休憩
    13時10分    自習
    14時          休憩
         14時15分  訓育部授業前段 (体育、教練、剣道、) 
                           又は 音楽、工作、自習
    15時5分     休憩
    15時20分    訓育部授業後段 (行軍、現地自活訓練) 
             又は 音楽、工作、自習
    16時10分    休憩
    16時25分  随意運動   (楽しい自由時間である 入浴)
    17時15分  手入れ休憩   (短剣、軍靴の手入れ、洗濯)
      17時40分  夕食
             休憩 (この時間は大抵 軍歌演習 であった)
         18時50分    第一自習
     19時50分  休憩 命令受領
     20時          第2自習
     21時         反省日誌記載  (墨書するのだ)
     21時15分   日夕点呼
     21時45分  消灯  (就寝ラッパ)  就寝

ちなみに陸軍幼年学校では、映画にあったような上官、先輩からの鉄拳制裁は全くなかった。 

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2007.05.19

早苗

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早苗が揃った

♪♪ 早苗な~ 早苗揃ても 麦打つう響きぃ~ ♪♪

これは私が子供の頃、よく盆踊りで聞いた「瑞穂踊り」の一節である。 昔の修学院は、今の時期、見渡す限り、水田であった。 その水田に早苗が揃った風景には、いつも安心感があった。 文字通り心を安堵させる雰囲気があった。 田圃に水が入ったその夜から、蛙の合唱が始まり、時に河鹿が鳴いたりした。 朝、水田の上には華麗な燕の乱舞があった。

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その懐かしい昔の雰囲気を、滋賀県安曇川の上流、「朽木村」で見た。 今の時期、朽木村は滋賀県高島市に属し、すでに村ではないが、日本の原風景の残された素晴らしい郷である。  山間に廣く広がる棚田の全面に、早苗が植揃えられている。 この日、(5月18日)その田圃の傍に立ったとき、本当に、これも懐かしく河鹿の鳴く声を聞いたのだった。

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村の郷土料理「はせ川」のご主人から聞いて、「くつき温泉」とやらを訪ねた。 山の中腹に造られた施設「グリンパーク想い出の森」 くつき温泉 「てんくう」は、これまた素晴らしい施設であった。

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「てんくう」の露天風呂に入る。 新緑と折からのツツジが美しい。 この施設、多分、街おこしの一環として造られたのであろうが、保養と研修とスポーツの設備を備えた廣く清潔な施設であった。 こんな山奥の中にこんな施設があるとは、驚きの発見であった。 また、訪ねてみたいものである。

http://www.gp-kutsuki.com/hotspring.html

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2007.05.10

西国第2番

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西国第2番 

西国第2番 紀三井寺は またの名を 金剛宝寺護国院 と称せられる。 今年最初の炎熱の日、5月8日、此処にお参りに行った。 御朱印をもらい、有難いしおりを戴いた。

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しおりには、

「きはながく こころはまるく はらたてず くちつつしめば いのちながかれ」

と、まさに我々に ピッタシ の言葉が記されていた。 これを真面目に実行すれば、また、長生き出来そうである。

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2007.05.05

偶感(その1)

偶感(その1)

憲法記念日が来て、護憲改憲と話題が賑わっている。 日本国憲法が制定され発効してから、ちょうど60年で、いわば還暦を迎えたことになる。 この60年の間に、世界はめまぐるしく変貌してきた。 第2次大戦が終わって、世界の人達が戦争を嫌み、だから、世の中が平和的、友好的、良識的になるのかと、期待されたのだったが、現実は、その逆で、世界は益々悪くなってきている。 他人を、他国を、益々信用できなくなってきている。 俗に言う「狐と狸の化かし合い」があり、暴力と詭弁が国連の場でさえ、まかり通っている。 その様な世界の中にあって、日本がいわゆる平和憲法を堅持し、これまで過ごせてきた要因の一つは、アメリカとの安全保障条約の存在であることは間違いがない。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

永久に抛棄したという武力の行使、陸海空軍その他の戦力も保持しない、交戦権も認めないとするこの様な国、今の世の中で、こんな能天気な国はない。 これまでこの能天気が、まがりなりにも通用してきたのは、アメリカとの条約があり、実際には我が国が、自衛隊という名の戦力を持ち、交戦権を行使するための訓練を行い、間接的にも国際紛争を解決する手段として、例えばPKOとして活躍してきたからである。 自衛隊が戦力でないと言うほど、白々しい詭弁はない。

 
この意味で、誰が考えても、自衛隊の存在は、憲法違反である。 と、言うよりも、憲法9条の方が、基本的に間違っている。 だから、間違っている憲法9条は速やかにあらためねばならない。

実際今のこの憲法は、当時のアメリカや、当時の戦勝国からなる極東委員会の思惑を盛り込んで作られたもので、純粋に日本製ではない。 目出度く還暦を迎えた、そして時代錯誤の憲法は、改憲し、詭弁の必要としない、素直な憲法を創らねばならない、と思う。

それにしても、アメリカが嫌いな社民党や共産党が、そのアメリカ製の憲法を護持せよと言うことほど、不思議で、可笑しいことはない。 要するに、彼等は憲法9条を護り、自衛隊を解散し、他国との交戦権を放棄すること、が大事と思っているらしい。 今の世界情勢の中で、これほど子供じみた意見もないものである。 もしそうすれば、我が国の権益を狙っている北朝鮮や、ロシヤや、中国は喜ぶであろう。 徒にことを構えて、その度に詭弁を弄するこれらの国は、 さらに事は易し と喜ぶであろう。 その辺りへの洞察を、両党は出来てないのであろうか。

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2007.05.02

春の阿波踊り

踊る阿呆に見る阿呆

京都市老人連合会の、8台のバスを連ねての、日帰りバスツアー「阿波踊りと鳴門観潮」に加わって、初めて阿波踊りの実演を見てきた。 本来は真夏の踊りだが、この時期、四国徳島で、「HANA  HARU  FESTA 2007」が、10周年記念として開かれたのだった(4月30日)。
いわゆる「連」の数は、本来は1000近いらしいが、この日地元の多くの有名連の人達が、それぞれの衣装、いでたち、その粋をこらして出演されていた。

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揃いの粋な着物姿の若いお母さんと、格好良いねじり鉢巻きの子供達、元気溌剌の娘さん達、その瑞々しさに、心底 憧憬を感じるのは私だけではあるまい。 一緒に写真を撮らせてもらった。

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青空の下、舞台の下には、豪華メンバーでの囃子方、豪快な太鼓の入る連もある。 舞台上での、集団での女踊り、その美しい躍動、ダイナミックな音とかけ声、実に素晴らしい。 また、舞台上での、集団での男踊り、その雄壮と躍動、豪快でもある。 そして子供連も交えての全員による、これぞ「阿波踊り」を堪能させていただいた。 すべてに素晴らしい「動」の美であった。

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帰途、ちょうど干潮時に、観潮船「日本丸」の船上より、これまた、豪快な渦潮の「動の美」を50年ぶりに見、そして、帰った。 楽しい一日であった。

                            

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