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2007.01.30

寒梅

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寒梅

春うららの今日、1月30日、宝ヶ池公園で一輪の寒梅を見つけた。 寒梅と聞けば、新島 襄の漢詩「寒梅」が浮かんでくる。

庭上の一寒梅
笑って風雪を侵して開らく
争わず又 力(つとめ)ず
自ずから百花の魁を占む

宝ヶ池の湖面は春うらら、亘ってくる風は、既にして春風であった。

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2007.01.28

お笑い学会

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笑い学会

日本笑い学会 という学会がある。
笑うことは長寿、健康の源だという。 笑うことは人間の特権であり、特技でもある。 大勢で笑うときはまさに、「笑う門には福来たる」である。


現在では、医学的、学問的にも、笑うことによって、体内の不健康因子が減少する事も実証されている。 今此処でその詳細は述べないが、笑いの芸、落語、漫才の、学府への颯爽たる登場である。  薬を飲む前に、寄席に行くのがよい、のかも知れない。

http://www.age.ne.jp/x/warai/

シニアーのパソコン同好会、メロウクラブと大阪府立健康科学センターとの共催で、「笑いの力、笑いの不思議」の講演会があった。 メロウクラブの会員に加えて、一般参加の人達で会場は満員であった。 
http://www.mellow-club.org/

今の世の中、連日のように、笑えない事象が起こっている事は事実だが、だからといって、いたずらに悲憤慷慨し、激昂するのは止めた方がよい。 勿論、悪、不正は正さねばならない、が心に余裕を持つことも必要である。 余裕は笑いによってもたらされる筈だ。 

私は子供の頃から、落語、漫才を聴くのが好きだった。 当時はラジオしかなかったが、そのラジオにかじりつくようにして、例えば、三遊亭歌笑などの落語に聞き入り、その口上を暗記するほどだった。 歌笑のセリフの一つ:「・・・もったいなくも畏(かしこ)くも 畏(おそ)れ多くも貴くも・・・」 或いはまた 「立てばビヤ樽 坐ればタライ 歩く姿はガスタンク」 などは、今でも時々使っている。 後者などは、メタボリック シンドローム の話題が多い今の世に、ピッタシの口上かもしれない。

折しも戦後の混乱期で、世情は殺伐としていたが、あの当時、あのラジオからの落語、漫才の放送で、どれだけの人達の心が、癒されたことだろうと思う。 笑いがストレスを解消してくれる効果は大きい。

現職になってから、研修や学会で、東京に出張したときの夜、友人の多くは、盛り場に飲みに出掛けたが、酒の飲めない私は、よく、寄席に出掛けたものだった。 巧い下手はあったが、席から見、聞く落語は、ラジオとは違って、圧倒的にストレス解消になったものだった。

笑うことは長寿、健康の源である。

  

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2007.01.24

国立博物館

国立博物館

友人のブログに刺激されて、国立博物館で開催中の「京都御所障壁画」展に出掛けた。

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京都国立博物館は、その正面よりアクセスしたときの景観が素晴らしい。 なにかとゴチャゴチャしている街中を通り抜けてから、正面から入場したときの、なだらかな東山を背景にして、左右に廣い建物と庭園の感覚が、そう感じさせるのだろう。 実際何時来ても、気持ちの好い広場である。

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展示は珠玉の京都御所襖絵、その初公開ということもあってか、盛況であった。 場内は、絵の保護と言うことで、暗くしてあるので、最初のうちは、見えづらかった。 或いは、己の老眼のせいかもしれない。 が、じっくり見据えると、流石に、これまで丁寧に保存されていたこともあってか、素晴らしい作品の連立であった。 古代中国の伝説に基づいた物語風障壁画もユニークである。 日本の風景画の中では、私は、横山華渓の 高雄秋ノ景図 の美しさに感動した。

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帰途何故かしら、知恩院前でバスを降り、白川に沿っての「なすありの道」を歩いた。 この道も桜の頃になると、人出の多いことだろう。 この道の近くで、数十年前、数百年間埋もれていたお地蔵さんが発掘され、今は、「なすあり地蔵」として祀られている。  

「なすあり」の語源は「有済」で、この語は中国の書経に記されている言葉に由来している。 嘗てこの地にあった、有済小学校の校歌の一節にも、 ♪「たえてしのべばなすありの」♪ の言葉が詠われていたと云われる。

実は私も数十年前、まだウブな学生だった頃、そして私の人生で初めてデートしたとき、確かこの近所の、美味しいことで有名といわれた、うどん屋に入ったことがある。 最初で最後だったが、その様な店も、さすがに今はもう見つからなかった。          呵々大笑。  

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2007.01.18

蝋梅

蝋梅

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大寒も近いというのに、春のような雰囲気のする日和である。 たしかに山も霞んでいる。 音羽川上流に歩いて、音羽の瀧にまみえる。 昨日の雨で、小規模ながら瀑布を成している。 瀧に向かって、李白の「望廬山瀑布」を放吟する。 気持ちがいい。

♪♪ 日は香廬を照らして紫煙を生ず
   遙かに見る瀑布の長川を掛くるを
   飛流直下三千尺
   疑うらくはこれ銀河の九天より落つるかと ♪♪

実際、実に気持ちがいい。 浩然の気が養われるのだ。

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帰途、ほのかな春の香りの中に、蝋梅を見つけた。 蝋梅は梅という名が付いているが、実際は、梅ではないとのことだ。 が、春先に、見る蝋梅は、その淡い黄金色と、ほのかな香りで、梅以上に人の心を明るくしてくれる。 その昔、中国の唐から伝わったものらしい。 検索すると、次のように書かれていた。

学名はChimonanthus praecox。1月から2月にかけて黄色い花を付ける落葉広葉低木である。 冬という白と黒の寂しい季節に、淡い黄色い花と落ち着いたお香のような芳香がとても風情を感じさせてくれる。

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2007.01.16

日展

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(上は山崎伸子画伯の「琴葉」です)

(絵はクリックすれば拡大されます)

日展

京都美術館に日展を鑑賞に行った。 友人の絵が入賞したのだ。 その絵を見る。 さすが素晴らしい出来だ。 と、言うほど絵が、私は解るわけではないが、それでも友人の絵の前に立ったとき、素晴らしいと思った。 繊細で美しい。 これは直感的感動というものだろう。 

日展会場には、洋画も有れば、日本画、そして、書や工芸作品と、数多く展示されている。 展示されてるから、そして、折角鑑賞に来たのだからと、全部に目を通すこととなる。 そして、その結果、何がなんだか解らなくなってしまう。 要するに「素人」なのである。

ただ今回、加えてもう一点、成田画伯の「山峡」と言う、大作には感動してしまった。 その絵は緻密で、その雰囲気は私をその場で、凝結させてしまった。 

もし私が今度生まれかわったならば、こんな絵を描いてみたいと、思った。

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2007.01.14

高価な本

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高価な本

先に原稿を送った本が出来上がった。 高価である。 1部なんと¥68,500である。 こんな高価な本に私の文章が載っていると言うだけで、(自己)満足している。 原稿料と引き換えに、その本を寄贈してもらった。 

受け取って、先ず見るのは、自分が書いたところである。 一読して安心し、納得する。 次ぎに、知己の文章を読む。 その次ぎに、関心のある事項についての記述を読む。 私が現役を退いてから、もう10年以上経っているから、その後、この分野の現状はどうなっているのかが面白い。 当分、楽しめそうだ。 

http://www.cmcbooks.co.jp/books/t0529.php

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2007.01.08

成人式

成人式

孫娘が今日成人式に出る。 目出度いことである。 娘の時の成人式も嬉しかったが、孫娘となると一段と嬉しい。 この時まで、自分が生き延びて、こんな日が迎えられた喜びもあるからだろう。 

我々が20歳の時には、成人の日もなければ、成人式という公式行事もなかった。 それぞれ個人が、 20歳の誕生日を迎えて、それぞれに祝い、それぞれに感懐を抱いたに過ぎない。
私の場合、選挙権が持てたことが印象的であった。 これから有る、選挙という選挙には、すべて投票に行くと自分に誓ったものだった。 若い頃だったから、選挙の講演会にも、自由党、共産党とかの党派に拘わらず、演説を聴きに出掛けたものであった。

あの当時、私は、社会党が好きだった。 京都では、「水長」と愛称された「水谷長三郎」が人気があった。 実際、彼は行動的で、歯切れが良く、我々にも解りやすかった。それに較べると、今の社会党は、何かよその国の党が遠吠えしているようで、気持ち悪い気さえする。 また、当時の共産党は、はっきりと、国際共産主義の指令下にあって、日本人の政党ではないようにさえ思えた。   勿論、自由党も、あれからいろいろと変遷した。 離合(烏合?)集散が激しい世界である。 私は、こんな世界に入らなくて良かった、と言うのが今の心境である。

私の場合、20歳の時には、自分の進む方向ははっきりと持っていた。 当時の思い出を拙著「大凡人」からの再録だが、此処に披露してみよう。

§ 迷い道

 大学に進むとき、自分は理科系なのか、文科系なのかということで本当に迷った。中学時代から理科、とくに化学実験は好きで、百万遍や熊野近くのガラス器具屋さんのウィンドウはよく覗きに行った。当時の乏しい自分の小遣いを全てはたいて、今月はフラスコだけ、来月は三脚と金網というように買い揃え、自宅の自分の机の上に実験装置を組み立てた。台所から持ち出した食塩に硫酸をぶっかけて塩酸をつくる、亜鉛に塩酸をぶっかけて水素ガスを発生させ風船を飛ばす、というような事をしていた。その当時の化学の教科書や、参考書に書いてあることは原理は正しくても、実験化学的には殆ど嘘であることが、数々の家庭内実験の失敗の結果からよく分かった。実験は好きだったが、数学は苦手だった。

実験をしないときは、大抵、平家物語や太平記あるいは中国の十八史略を読んでいた。哲学はてんで駄目だったが、文学は好きだった。
 こんな調子だったから、いざ大学に進学するとき、自分はどこの学部を受験すべきなのか全く分からなかった。ある時、物象(当時この様な名前の学科があった。理科全般のことである)の先生から宿題が出された。何でも良いから、自分の好きなテーマでレポートを書いてくるようにというものであった。昭和23年頃だから、世の中はまさに飢餓と貧困の時代、貧困は我慢できても、若い私たちに飢餓はこたえた。実際は勉強どころか毎日毎日、頭の中は食べる事ばかり考えていた。銭湯に行って、鏡に写る自分の痩せこけた体格を見ては、何を食べるべきなのか、当時売られていた「頑張り粉」は果して栄養はあるのか、ただの石の粉なのか(実際はそうであった)とかおのづと関心は食品とか栄養に傾いていた。という背景もあって、本屋で見つけたレポートの題材は、鈴木梅太郎著の「栄養読本」であった。価格は1円であった。

 この本は戦前に鈴木梅太郎博士によって書かれたものであり、戦後その複刻版として出版されたものだったのだが、当時の事とて粗悪なざら半紙のような紙に印刷されていた。しかしその内容は、戦前の日本人の平均的体格の、特に欧米の人達と比べてのその貧弱さが、それまでの日本人の食生活の内容に起因するものであるとの観点から、博士は日本人の日常生活における食事の献立、その質的量的解析を詳細に示し、批判し、啓蒙したものであった。本を買って帰宅後、これを読みだしたところ、私は全く時間のたつのも忘れてこの「栄養読本」にのめり込んでいってしまった。生まれて初めての知的興奮であった。この日初めて私は徹夜しての読書をしたのであった。そしてその時の感激で私は、自分の人生の進むべき道はこれだと目覚めたのだった。鈴木梅太郎博士と同じ分野、食品化学、栄養化学の道に進むのだということが判った。

 当時何かと相談相手になってもらっていた先輩に山田 稔さんがおられた。山田さんを岩倉のお宅に訪ねてこの感激を話した。そしてこの栄養化学、食品化学の分野と言うのは何学部にあるのかと尋ねたところ、山田さんは鈴木梅太郎博士は農芸化学分野の先生だと教えて下さった。農芸化学科は農学部にあった。かくして私は京都大学農学部へ進むこととなったのであった。「栄養読本」は私の青春時代の迷いを一挙に氷解してくれた、正に素晴らしい栄養素であった。 

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2007.01.03

初詣

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初詣

今年の元旦、初詣は、遠路奈良の橿原神宮とした。  私にとっても久しぶりだが、妻にとっては、実に67年ぶりと言うことで、自分史的イベントである。 今年は、平成19年、西暦では2007年だが、皇紀にすれば、2667年となる。 
妻が(そして私もだが)初めて橿原神宮を参詣したのは、実に、昭和15年、皇紀2600年の時だった。 その年は、日本国中、国を挙げての祝賀として、建国の第一代天皇、神武天皇を祭る奈良の橿原神宮に、大挙して参拝に出掛けたものだった。 当時小学生だった私も、学校からの「遠足」として、皆で出掛けたのだった。 その後も或いは家族で、出掛けたこともあるのだろうけれども、それらの詳細は私の記憶にはない。

明確な記憶として残っているのは、その後、昭和20年4月3日、神武天皇祭の日に、大阪陸軍幼年学校49期生としての初めての外出であったのだが、当時まだダブダブの第一種軍装を着け、始めての短剣を着装し、隊伍を組み、橿原神宮を参拝した思い出である。 この日、神武天皇祭と言うことで、一般人の人出も多かったが、その人出を左右に分けた砂利道の真ん中を、新品の、だがこれ亦ダブダブの軍靴の靴音高く、真っ直ぐに前を向いて歩いた時の印象は、今でも鮮明である。  この時、参道も境内も清明且つ荘厳であった。 畝傍山を背景として、日章旗が翩翻と翻っていた。

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今年の初詣、確かに交通の便は素晴らしく、アクセスは安易であった。 天気予報は外れて、日本晴れとなり、小春日和の暖かい日となった。 が、橿原神宮前の駅を出たところから、何と云うことか、道の両側は、露店の連立であった。 荘厳たるべき参道の両側も、或いは「いかの丸焼き」、或いは「たこ焼き」或いはまた「フレンチポテト」と、露店がひしめき合い、売り込みの声も激しく、「清明荘厳」の気は完全に無かった、のは淋しく残念である。 この参道の露店の連立は、今少しナントカならないものかと思う。 

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元日とあって、参拝の人出は多く、境内の、有名な橿原神宮の大絵馬の前には、記念撮影する順番を待つ善男善女の列が出来ているほどだった(冒頭の写真)。 さすが、境内には露店はなかったが、お神籤とイノシシグッズの販売が賑わっていた。

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橿原神宮の本殿は今改装中で、拝殿の前に近づくのもヤットコサの感であったが、久しぶりに神武天皇様に御挨拶できて、すっきりした感懐を覚えた。 その後、宝物館を見学し、深田池を巡り、帰途についた。 
この日、いい初詣であった。

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2007.01.01

謹賀新年

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謹賀新年

今年は平成19年、皇紀2667年である。 亥年でもある。 私の父の干支は亥であった。 母は丑であった。 私は未である。 みな食卓に上れば、喜ばれるものばかりである。 ちなみに妹の干支は酉である。 デパチカの食肉コーナーみたいで面白い。 

今年こそオイシイ年であって欲しいものである。

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