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2006.12.18

年賀状を書く

年賀状を書く

I

たかが年賀状 されど年賀状

年の瀬が迫ってきて、気忙しいと思うものの一つに年賀状書きがある。 年賀状、もらうのは嬉しく楽しいが、この時期、それを書くのは、真面目にすればするほど、大変である。 私の場合、親戚や知り合いの他に、嬉しいことに、多くの卒業生があるので、年賀状作りは、毎年 数百枚になる。

通り一遍の「謹賀新年」では、潔よしとしないので、毎年手作りである。 その年の写真を入れて、感想文を書く。 此処までは、パソコンを駆使して、独自のものを作り、プリンターで印刷できる。 文章はユーモラスなものがいい。

さて、実際には、数百人の相手とは、それぞれこれまでの繋がりが違うのだから、その人その人によって、一寸したコメントを直筆で、余白に書き入れる。 その方が、もらった人も嬉しいはずだ、と思うからである。 これが、実際には時間もかかるし、大変なのである。 が、書き込んでいるときには、その人との過去や今のことなどを、想像したり思い出したりして楽しいものでもある。 だから書き込むのである。

所で、最近では、流石に、「年賀状の枚数を、もう少し減らそう」と、真剣に考えるようになった。 数百枚は今年だけにして、来年からは半分ぐらいに、と思うのである。 が、年賀状なるもの、実は、「生存証明書」でもあるのだ。 年賀状が来ないと、あの人、ひょっとして、御他界かなと、誰しも思うからである。 であるならば、矢張り、年賀状は省略するわけには行かない、と言うことになる。

 
さてさて皆さん方は、如何されてますやら?

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2006.12.16

古本屋

古本屋

私が定年の時、退官記念事業会なるものが、研究室員や卒業生達によって、設立された。 有り難かった。 私のしたことは、研究生活も含めて、これまでの私自身の生き様を、正直に記述した本を書くことだった。 子供の頃から、定年までの63年間に経験したこと、感じたこと、感激したこと、悲憤慷慨したこと、そして拙見などなどを書き記した。 所帯盛りの時期の、18年に亘る年賀状シリーズなどは、今読み返しても面白いところが多い。 文章は勿論、節間のカットなどもすべて、私の好みで編集した。 178ページの箱入り書籍で、題字「大凡人」は山本英雲氏に揮毫していただいたものである。
定年時、同僚や卒業生を中心に、700部ほどだったか、皆さまに謹呈した。 当時話題になりだしていた、自分史の趨りだったかも知れない。 

あれから、もう12年にもなる。 今の私のブログ、ココログ「大凡人」は、ある意味でその延長でもある。

ところがである、最近吃驚する発見があった。 皆様方御存知かと思うが、「日本の古本屋」という、窓がある。 その中に、古本として、販売されているのだ。 謹呈本は、勿論、無料だったが、此処の古本屋では、立派に定価が付いているではないか。

http://www.kosho.or.jp

 
多分、謹呈された当の御本人が、例えば他界されて、家族の人が古本屋さんに持ち込んだのかも知れない。 古紙として出されるよりは、嬉しいことだと、無理に自分を納得させている。 実際これは、喜ぶべきことか、悲しむべきことか、妙な気分である。

Daibonjin2  

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2006.12.08

12月8日

12月8日

この日は、嘗て、大詔奉戴日であった。
昭和天皇の大詔を戴いて、大東亜戦争が始まった日である。 満65年前である。
大東亜戦争は、八紘一宇の理念の下、欧米列強によって支配され、植民地化されているアジア諸国を、その欧米から解放することであった。 大東亜共栄圏の確立である。


何故かしら現在、日本の歴史教科書にも書かれてないが、実際には、昭和18年11月5,6日、東京で「大東亜会議」が開かれている。 この会議には、日本、中華民国、タイ、満州国、フィリッピン、ビルマ、そしてインドの代表が参加している。 インドの代表は、チャンドラ・ボース氏であった。 この会議において、アジアの開放を実現するという理念が、明白に打ち出されている(大東亜憲章)のである。

それまでの欧米は、その強力な軍事力を背景として、アジアの諸地域を浸食し、侵略し、資源や産物を搾取してきた。 当時、東洋においての完全な独立国は、我が国とタイ国だけであった。 中国も、香港をはじめ、諸地域を強制的に租借され、都市には欧米各国の租界地を許していた。 そして悲しいことには、その時点では、アジア各国は、自力では、これら欧米の支配から脱し、自主独立を獲得する抵抗力、戦力がなかったのが事実である。

勿論、例えばインドにおいて、また、中国において、抵抗の姿勢はあったが、それが実を結ぶことはなかったのである。 大詔の真意は、自国の勝敗を顧みず、大東亜の独立解放を、究極の目的としたものであった。 

アジアの小国、日本はその理念と精神で、戦った。 そして、最終的にはその物量によって、欧米列強に破れた。 が、しかし、この大東亜戦争によって、一時的にでも欧米列強の力を、アジア諸国から放逐する事ができた、と言う歴史的事実によって、アジアの諸国において、俄に、自力で独立しようとする姿勢と、やれば出来るという戦闘力を生み出すこととなったのである。

大東亜戦争は、アジア諸国の欧米列強からの解放、独立の動機となったと言う、歴史的快挙であったのである。 これまでこの大東亜戦争に対して、否定的或いは自虐的な見解がよく見られてきたが、実際には、世界史上、こんな素晴らしく崇高な戦争はなかったはずだ。

事実、ビルマの独立を果たした、ビルマの初代首相、バー・モウ氏は、その回顧録「ビルマの夜明け」の中で、敗戦後の日本について、次のように述べている。
「日本の事例は本当に悲劇である。 歴史的に眺めると、日本ほど、アジアを白人の支配下から解放するのに尽くした国は、他には何処にもない。 にも拘わらず、解放を援助しまたは、いろいろな事例の手本を示したその人々から、これほどまでに誤解されている国もまた無い」(横堀洋一 訳)。 

また、イギリスの歴史学者、クリストファー・ソーンも、その著書の中で、「日本は戦争には敗北したとはいえ、アジアに於ける西欧帝国主義の終焉をもたらした」と明確に指摘している。 日本は戦争には敗れたが、その崇高な理念は達成されたのである。 

日本よ! 日本の先人達の偉業、その努力の成果に、もっと誇りを持とうではないか! そして、

大東亜戦争で、不幸にして、戦場に倒れ、戦禍に伏した人々の御霊よ、欣持して安らかに眠られよ。

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2006.12.07

12月7日

12月7日

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> 1944年(昭和19年) 愛知県の三河湾を中心に、東海地方でM8の大地震と、それに伴う津波によって、死者、行方不明者が1,223人、家屋の全壊2万6千130戸の被害がありました。
東海南地震と名付けられましたが、当時は軍部の命令で報道管制がしかれており、詳しい情報は多くの国民には知らされていませんでした。 (ひげの爺さん より)


私の兄、規秀、は、この時、愛知県半田市の中島飛行機で、動員学徒として、海上偵察機「彩雲」の生産に当たってましたが、この地震で殉職しました。
今日で、あれから満62年になります。
今は、靖国神社にも祭られていますが、家では祥月命日の法要を致しました。

もう、62年にもなるのですが、この時共に働いていた同級生の方々は、決して兄たちのことを忘れることなく、今でも毎年この日には、偲ぶ会を開かれております。 有り難いことです。
先年亡くなられた「田村高廣」氏も、同級生で、同じ体験をされたのでした。

この辺りのことは、最近出版された「日本人への遺言 田村高廣の想い出」 (上の写真) に記述されています。

        

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一度はおいで

草津温泉

Shiranehonzan1

(12月1日の白根本山です)

学生時分から、いつも日本語や、ドイツ語(?)で、放吟していた草津節。
 
♪♪ 草津よいとこ 一度はおいで (ドッコイショ) 
      お湯の中にも (コーリャ) 華が咲くよ (チョイナチョイナ) ♪♪ 
♪♪ Kusatsu guten Platz ,  noch einmal kommen Sie  (ドッコイショ)
   in Bade-wasser,  (コーリャ) Blumen  bluhen  (チョイナチョイナ)  ♪♪

しかしこれまで75年間、一度も行ったことがなかった。
その上州は草津温泉に、思い切って出掛けてきた。 京都から高速バスで、片道500キロ、往復1000キロの行程である。 
師走早々だったし、信州の落葉松はすでに、文字通り落葉樹だったが、天候には恵まれて、いい体験が出来た旅だった。

流石に、草津のお湯は好かった。 ホテルの大浴場、露天風呂のお湯は、石灰で中和しているとのことだが、それでもまだ酸性であった。 中心街の湯畑、西の河原に見る熱泉のお湯は、強酸性であった。 何よりも、このような強酸性の熱泉の流れの中に、文字通り藍い藍藻、シアノバクテリアが棲息しているのを発見して、感動した。

Yubatake4

Yubatake5

(草津温泉 この日の湯畑です)

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Bluegreenalgae

(西の河原とそこに見る藍藻)
 
松江温泉の藍藻、シアノバクテリアは、微アルカリ性に適応している、好熱性藍藻であった。 今、此処に見る、酸性に適応している好熱性藍藻と、遺伝子的に、どう違っているのか、是非とも知りたいものだと、思った。 この遺伝子は必ずや、応用生化学的に有用な性質を持っているはずである。

中心街をそぞろ歩きして、無償の「温泉まんじゅう」を戴き、ホテルの露天風呂を何度も楽しんで、帰ってきた。 

Dousojin3  

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