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2006.11.29

千代の寿

千代の寿

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その時夢中だったから、私自身には記憶がないのだけれども、私が生まれたのは、昭和6年8月3日午前2時と言われている。 その証拠となる小さな箱がある。 臍の緒の収まった「千代の寿」の箱である(写真)。

私が子供の頃、近所に住まわれていた藤井の小母さんが、産婆さんであった。 子供の頃、道や市場ですれ違うと、いつもニコニコして、私達に声をかけてくださる優しい小母さんであった。 山端地区の多くの子供達は、大抵藤井さんの世話になって生まれ出てきたらしい。 ので、小母さんも子供達が元気に遊び回っているのを見て、懐かしく頼もしかったことだろうと想う。 子供の方も、何となく気恥ずかしく嬉しかったものだ。

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「千代の寿」の箱の中には、確かに、今でも、干からびてはいるが、私の臍の緒の断片が収まっている。 時々、箱を開けてみたりしているが、勿論、当時の様子はわからない。子供の頃に母親から聞いた話では、私は体が大きくて、母親は大難議したとのこと、加えて、丁度同じ時刻に、近所でも出産があり、藤井の産婆さんが、両方の家を行ったり来たりで、大変だったとのことであった。 その彼は8月2日深更に生まれ、私は8月3日午前2時に生まれた。 お陰で両家とも、無事大きな男児が生まれて、先ずはめでたしめでたし、だったのだが、産婦さんも産婆さんも、クーラーもない暑い夏の夜なか中、大変だったろうと、想像に難くない。 それこそ厚く感謝しなければならない。

その近所の彼とは、その後も、小、中、高校、と同じ学校に通う仲良し仲間であった。 今でも仲良しだし、両方とも今でも元気でいる。 今は天国にいる藤井の産婆さんも喜んで下さっていることだろう。
あの頃、近所に世話になった、産婆さんがいるだけで、町の中が何となくほんのりと、ゆかしく、温かい雰囲気があった。
今の世、このような町の産婆さんが見られなくなったのは、町として淋しいことである。

所で、この「千代の寿」、私が死んだときには、残しておくべきか、それとも、一緒に納棺するべきか、どうしたものでしょう。 

貴殿ならどうされますか?

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2006.11.22

真如堂

真如堂

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久しぶりに真如堂を訪れた。 むかし、高校生の頃、私のピンポンの好敵手が、この近くに住んでいたこともあって、よく来たものだった。

京大病院での定期検診の帰り道に、立ち寄ったところ、折からの紅葉に、真如堂は、観光客でイッパイであった。 それほどにまた、真如堂の紅葉は、美しかった。

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先ずここは境内に入るのに、入山料を取らないところが気に入った。 勿論、庭園や宝物の展覧を見るのには、500円の支払いが要るが、紅葉の鑑賞なら、三重の塔を備えた境内の方が優れている。

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 黄金色の葉を輝かせていた、「花の木」と言われる名木は素晴らしかった。 黄金色の葉は、それぞれに、その先端から、次第に紅に変わっていくのである。 珍しく、美しい木である。 そして、すべてが紅に染まったときの、その美しさは、形容しがたいほどのものであった。

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(塔の周りは紅葉でイッパイである)

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(上は境内の赤崎宮)

この日、折しも午後の秋陽に映えた、真如堂の紅葉のすべてを満喫することが出来た。 

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(上は三重の塔の裏道)

既に秋の終わりの雰囲気も感じられたのだった。 今年の、私の紅葉狩りは、真如堂で終わりにしてもよい、と思った。

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(撮影は11月21日)

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2006.11.19

秋陽の宝ヶ池

宝ヶ池

我が家から歩いて、宝ヶ池を一回りしてくると、1時間少々かかる。 約7,500歩である。

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(宝ヶ池への道)

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池を囲む丘の、四季それぞれの色合いが変妙で、実に素晴らしい。 今の時期は、矢張り楓の紅葉だが、メタセコイヤの黄金色、欅の朱色も美しい。

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 私は楓の紅葉を、逆光で仰ぎ見るのが好きだ。 紅と黒のコントラストがよい。 

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2006.11.14

秋は紅

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秋は紅 その楓葉の ようよう紅く染まりて 池の水面に映りたる いとをかし

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2006.11.07

三門

三門

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京都知恩院の山門は三門という。 三つの解脱に繋がるとのことだ。 この三門が特別公開されているというので、出かけた。 俗に、かの石川五右衛門が、この三門の上から、洛中洛外を見下ろして、「絶景かな、絶景かな」と、感嘆したという逸話があることでも有名である。 私も、感嘆したくなったのも、動因の一つである。

三門の拝観料は800円であった。 三門の楼上に登り、鎮座まします「釈迦如来」とその御令息の「羅怙羅尊者」に御挨拶をした。 三門の上からの展望は、さすがに広く、西山、愛宕山、そして北山の連山の連なりが、懐かしく美しかった。 

が、不思議なことに、この三門の上から「絶景」足るべき、外の景観を写真撮影することは、何故かしら固く禁止とされているのだった。 こんな馬鹿なコトは無い、真実ケシカランと思った。 

知恩院は解脱すべきである。

  

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2006.11.05

鞍馬寺

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家の裏を走る鞍馬行きの電車は、この所、毎日満員である。 だからと言うわけでもないが、今日も青い秋空に誘われて、久しぶりに、鞍馬寺に行って来た。

お山は、老若男女、みな善男善女ばかりで、色づき始めた紅葉と共に、いい雰囲気であった。

本堂の上にある鐘堂に登って、思いっきり大きく、鐘を衝いてきた。 よかった。

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2006.11.04

夜泣峠

夜泣峠

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夜泣峠は、洛北鞍馬街道二ノ瀬集落から、加茂川の上流、周山街道大岩に抜ける峠道である。 今の時期、北山杉の林立が美しく、東海自然歩道としてよく整備されているから、中高年者のウオーキングコースとしては格好である。

3日、快晴に誘われて、単独行で歩いてきた。 と、言ってもこの道は、もう50年以上前になるが、大学の学友たちと歩いた、思い出の道でもある。 

満員の鞍馬行きの電車から、二ノ瀬駅で降りたのは5人だった。 夜泣峠に向かったのは3人、そのうち二人は若いカップルだったので、どんどん先に行ってしまった。 峠道の入り口近くにあるお寺には、私の小学校の担任であった恵谷先生が住まわれていたのだ。 私は、昔を偲びつつ、マイペースで、ゆっくりゆっくり峠道を登る。

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杉の林立が美しい。 道は静かで気が清い。 深呼吸をする。 標識を見ながら、七曲がりほどして、峠の頂上に着く。 夜泣き峠の名の由来が説明されている(冒頭の写真)。 京都はさすが千年の歴史があっただけに、北山のいずこの峠にも、それなりの由緒があるのが嬉しい。 ここから見晴るかす周山の山並み、独りで満喫するには勿体ない景観である。

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下りもゆっくりと歩む。 道が明るくなった。 野鳥がさえずり、せせらぎの水が音を立てている。 こちら側には若い北山杉の林立が見られる。 よく手入れされているようだが、新鮮な鹿の糞も見かけたので、結構お客さんも多いのだろう。

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思ったより早く、周山街道大岩に着いた。 今日は休日だからかも知れないが、車の通行も少ない。 おおらかな道である。 ファミリーでサイクリングしている人達と、大きい声で挨拶を交わす。 実に健康的な雰囲気だ。 加茂川の上流、水は本当に清明である。 対岸の十三石山、その山肌にも少し紅が見られる。

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加茂川に沿って下り、柊野に出ると、既に都会の雰囲気である。 川辺で今日は、バーベキュウの連中が賑やかである。 私もここで、昼飯とする。 

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この後、公園となっている加茂川畔を出町柳まで歩いた。 加茂川はここから下流は鴨川となる。
加茂川も鴨川もこの日、平和に満ちあふれていた。
この日、万歩計は、18,666歩であった。

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2006.11.02

思無邪

思無邪

北朝鮮が核爆弾の実験をしたことが、事実となって、俄に我が国の防衛問題の論議が、賑やかになってきた。 結構なことである。 およそ自国を護るのに、我が国ほど、脳天気な国は、歴史的にも珍しい。 将来の世界各国で、それぞれの国の世界史の教科書には、奇蹟として日本の脳天気ぶりが記載されることだろう。

今の我が国の憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と言う考えそのものが、余りにも甘すぎるのである。 勿論、理想としては、そうありたいが、世界の、人類のこれまでの歴史的過程を見れば、それが如何にも夢想、幻想であることが解るはずである。 その夢想がそれでも、この世界において、60年間は継続し得たことは、従って、世界史上の奇蹟として評価されることではあろう。 しかし、この夢想が、今後も40年間、併せて100年間、平和裡に維持されると言うことは、決してない。 それこそ夢想である。

この世界の中には、北朝鮮のような、拉致、偽札作り、麻薬密売、恫喝を常套とする、信義のない国家も、現実に存在していることを、我々は認知せねばならないのだ。 

このような乱世において、自国を護るための方策を早急に確立せねばならないと思う。 今の日本の憲法は、あくまでも、アメリカの核の傘の下だけの憲法であって、日本の主体性のある憲法ではない。 今や我々は、アメリカの核の傘の下の「お坊っちゃま」であってはならない。 我々は自尊心のある成人とならねばならないのだ。

主体性を持って、自国の防衛は自国で行おうではないか。
先ず、憲法、憲法9条を改正しなければならない。
武力の行使が出来なければならない。
交戦力を発揮できる軍隊を持たねばならないと思う。 

(参考) 憲法9条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。

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