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2006.09.28

似顔絵

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似顔絵

マンガ展の巨匠、マーチンさんに私の似顔絵を描いてもらった。 初対面だったし、1~2分で描いてもらったものである。 漫画家による似顔絵である。 果たして、似ているかどうかは、別問題である。

マーチンさんはジョーク大好きの典型的な英国人で、現在、精華大学マンガ学部の特任教授をされている。 
彼の言によれば、「日本は、外国人に数多くのコントラストを見せてくれる。 違う言語、違う文化、自分たちの伝統について強い尊敬の念を持ちながら、新しいテクノロジーや最新の流行もどんどん受け入れる国。 そのような様々な違いや対比は、漫画家にとって、新鮮なアイデアの源となる場合が多い。」 とのことである。

日本固有の文化、伝統は、やはり大事にしなければならない、と思う。        

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2006.09.21

白い彼岸花

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白い彼岸花

白百合のような白い彼岸花を見た。 孤高を保っているかのようであった。
彼岸花、
秋のお彼岸になると、決まって、突然のように、すくすくと茎を伸ばし来て、パット咲く。 そのバイオリズムの精緻さには何時も感心させられるのだ。

Reds

赤い彼岸花に、からす揚羽蝶が、挨拶巡りしているかのように、飛んできていた。
お彼岸が過ぎて、彼岸花が消える頃、この揚羽蝶も消えるのだろう。

Butterfly  
 

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2006.09.16

尚歯会(しょぅしえ)

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(この日の曼殊院庭園)

尚歯会(しょぅしえ)

洛北比叡山の麓、修学院地区は、修学院小学校の校歌三番(後述)にもあるように、嘗て、この辺りは「小野の原」と言われた。 古く、今から1100年も前、この付近に、当時の貴族による「小野山荘」があったことでも知られている。
 
同時にこの地には、赤山大明神があり、比叡山延暦寺の別院となっている。 この赤山明神は、京都の東北表鬼門に当たるので、方除けの神として、朝野の信仰が厚かった。 今では、参道に大鳥居があるが、また、中の本堂では、梵語のお経が唱えられていたりして、まさに、神仏混合のお社である。 
私の子供の頃、この辺りから、西の方、京都市内を見晴るかすと、素晴らしい小野の原を実感することが出来た。 この地に修学院離宮が造営された由縁が理解できる。 

元慶元年(877年)、大納言 南淵年名卿(みなぶちのとしなきょう)は、この地にあった小野山荘に、7名の老友を招き、酒を酌み交わし歌を詠んで、余生を楽しんだといわれている。 この老友会は、「尚歯会」と称され、現在の老人クラブの先魁となったもの、とのことである。

9月15日、京都市左京老人連合会(左老連)は、一乗寺下り松~葉山観音~曼殊院(拝観)~修学院離宮~赤山禅院と、秋空の下、解説を聞きながら、小野の原をソフトウオークしたのだった。 156名の参加があった。 好い会であった。

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(この日の修学院離宮 界隈)

(修学院小学校校歌)
♪♪
一  ほのぼのあくる ひんがしの
   みそらに高き比叡の峰
   いく代変わらぬれいろうの
   あやに貴きただずまい
   深きしじまにおのずから
   ふくむ教えを見ずや友

二  夕べさやけき月影に
   まさごの数をよみぬべく
   みなそこ清き高野川
   ただひとすじに流れゆく
   いみじき楽のしらべこそ
   道のさとしと聞けや友

三  見渡す限りさみどりの
       ゆたかに広き小野の原
       げにたぐいなき揺籃に
      生い立つさちの喜びを
      歌えわが友もろ声に
      あまのやえぐも ゆるぐまで
      あまのやえぐも ゆるぐまで

                                     ♪♪

                                                                      

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2006.09.13

マンガ展

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マンガ展

今、京都市美術館別館で、京都国際マンガ展が開かれている。 第7回目だそうだ。 京都精華大学などが主催者となっていて、65歳以上の人は、入場無料という特典もある。 
文字通り国際的で、世界中の漫画家が、基本的には「反戦」をベースにした、実に面白い作品が、多数展示されている。 今、戦争を吹聴したり、仕掛けている世界の政治家に、是非見てもらいたいものである。

社会風刺マンガと言うことだが、一点一点の絵は緻密で、庶民の心をとらえており、よくこんな「ヒラメキ」が浮かんでくるものだと、笑いをかみしめながら、もっぱら感心して見て来た。  

特別展示として、パンチ誌のマンガ家、ハネセット氏の「日本見聞録」マンガシリーズは、とりわけ緻密な、且つ滑稽な絵で、これは是非一見をお勧めする。 「祇園祭」なんか特に面白い。 山車の運行に携わる人達の表情、実によく観察されているものと、感心した次第。 

今月24日まで、開催されている。 私はもう一度行こうと思っている。

  

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2006.09.09

重陽の節句

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重陽の節句

今日は目出度い、重陽の節句である。 日本では、9は「苦」を連想するので、好まれないが、実際は目出度い日なのである。 
苦あれば楽ありとも言う。 ものは考えようである。 
ネットで検索すると、次のような説明があった。

>重陽の節句(菊の節句)
「五節句の一つ。奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なることから「重陽」と呼ばれます。 陽の極が2つ重なることからたいへんめでたい日とされ、
邪気を払い長寿を願って、菊の花をかざったり酒を酌み交わして祝った」

旧暦では、この時期、菊花の盛りであったらしい。 

この日は、また、救急の日でもあるという。 こちらの方は、なんとか、御免被りたいものである。

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2006.09.08

神学論議

神学論議

(その1)

脳を進化させてきた人間が、「神」を思考するようになり、そこに、宗教が生まれ、信仰が生じた。 人間そのものは、多種多様であるから、思考される「神」も、生まれてくる宗教も多種多様である。 極く当たり前である。 この地上に、或いはもっと広く、この宇宙に、「神」は唯一だとする宗教があっても良い。 一方、例えば、学問の神様があり、安産の神様があり、商売繁盛の神様があるとしても、それはそれでよいことだ。 どちらにしても、「神様」という思想は、人間が、開発したものであるから、本来、多様なのである。

自分の生まれたふるさとには、ふるさとの神様が鎮座まします。 「氏神」である。 我々日本人は、古来、子供が生まれれば、「氏神」様に「お宮参り」に行って、祝詞をあげてもらう。 私の子のお宮参りの折り、「若竹のごとく すくすくと・・・」と、上げられた神主の祝詞の言葉が印象的で、私は今も記憶している。 

結婚式には、神前もあれば、仏前もあり、教会で、と言うのもある。 どちらにしても、若い二人による、「誓いの言葉」で、式は締めくくられることになる。 いいことである。

葬式にも同じように、神式もあれば、仏式もあり、教会葬もある。 自分の身内が、或いは、友人が、亡くなったのであれば、弔いの形は違っても、誰しも、葬式には参加するものだ。 お別れに行きたくなる。 こんな時、私は宗派が違うからと、葬式に行かない人の方が可怪しい、と思う。 もしや、約束事で行かない人があっても、心の中で、故人を悼んでいることには変わりないはずだ。 故人の霊魂が存在する、しないの問題ではなくて、故人の思い出は、絶対に残っている。 故人を思うことはそれ自体、故人への供養なのである。 

宗教のことを言い出すと、いわゆる、神学論争になってしまって、収拾がつかなくなりそうな気もするが、私見を述べてみる。 

(その2:世界宗教者会議コメントを含む)

この地球上の、いろいろな環境のところで、環境に沿った、いろいろな宗教が生まれてきて、それを信仰するいろいろな人達がいる。 
信じる信じないは、いわゆる、その人の心の問題であって、その人が、その宗教で、心の平安が得られるのならば、その人にはその宗教でよい、と言うことになる。 その人が、その宗教ではどうも、飽き足らないというのであれば、他の宗教を研究してみるのもよい。自分で悩み、探求し、勉強すればよい。  その過程で、無宗教ということもあり得る。
そう言う人達に、だが、宗教を紹介するのはいいことだが、決して、勧誘以上のこと(強制)をするのは、よくないと思う。

私は、絶対的な宗教というものはない、と思っているので、一つの宗教が、他の宗教と討論し、相互に研究し合うことは良いとしても、他を非難したり、誹謗中傷したり、さらには「聖戦」を仕掛けることは、愚かであると思う。 

「うちのこの神様は、絶対無二、だからこれを信じなさい。 信じないものは異端者であるから、神の名において制裁する」と言う論理ほど、思い上がったものはない。 決して、その神様も本当は、そんなことは、思ってない筈だ。 神に仕えていると称する「人間」が、勝手に、自分のために言っていることだと思う。 

神様、絶対無二、異端者、異教徒、この勝手な思想のために、どれだけ人類は、これまで不幸を見てきたことか。 神様がもし在るとしても、神様もそのような不幸は、決して望まれてない、と思う。 

明らかに「いかさまな宗教」は、排除されなければならないが、この世の中には、いろいろな宗教がある、どれでもお気に入りのものを、お選びください。 と、言うぐらいでいいのではないだろうか。

科学者の端くれである私も、若い頃、宗教に興味を持って、一通りその関係の本を読んだことがある。 また、早朝の「講話」なるものを聞きに行ったこともあった。         一方、科学者としての専門分野は、いわゆる「バイオ」であったから、最先端の遺伝子科学を学習した。 宗教と遺伝子科学、ともに人間を対象にしている。 宗教は人間の「心」を、遺伝子科学は人間の「肉体」を対象にしている、いずれも素晴らしい「サイエンス」である。 

遺伝子科学は、国際的な共同研究の結果、これまでに既に、人間の全遺伝子の塩基配列決定を完成させている。 微生物では、我々に身近な大腸菌の、また、植物分野では稲の、全遺伝子配列も決定されている。 素晴らしい成果である。 
遺伝子の塩基配列を見るとき、この情報によって、大腸菌が生まれ、稲が生長し、人間が創られていくという事実に、誰しも感動せずにはいられない。 どうしてこのような精妙なトリックが出来ているのだろう? 誰がこんな巧妙なトリックを創ったのだろう? と、思考するとき、そこに「神様」とも言うべき「偉大な大自然の力」「神秘」を感じてしまうのだ。 神様でなけりゃ、こんな素晴らしいトリックは出来るものではない。 ちなみに、人間は、もう10年も前に、大腸菌の全遺伝子配列の決定は完成したけれど、in vitro で新規に大腸菌の生命を創り出すことには、未だに成功していない。 

宇宙玄黄 森羅万象を定め、支配している「偉大な大自然の力」は、やはり、神様だと思う。 この意味で、自然を崇拝する古代人の思想と、現代の科学は共通していることになる。 

ただし、ここで言う神様は、例えばキリスト教で言う「神」、イスラム教で言う「アラーの神」とは、違う。 これらの神はあるいは、人間の原罪を説き、懺悔を薦め、救済を施すなど、あまりにも人間臭い。 人間が創った宗教だからである。 現世の生活の中では、確かにこれらの宗教は、心の平安のためにも必要であろう。 必要としている人達がいる。
それはそれでよい。

ここで留まっていればいいのに、何故かキリスト教は、カソリックとプロテスタントに分かれ、例えば、アイルランドでのしつこい抗争があった。 イスラム教は何故か、スンニ派とシーア派に分かれ、イラクで殺し合っている。 これは既に宗教ではなく、軍隊である。 古来、十字軍がそうであった。 そこには神のための殉教があった。 殉教を賛美し、「聖戦」の名の下に自爆を薦めるのは、「神」ではなく、神を騙っている司教であり、政治屋である。 原始時代ならともかく、今の世に、神を騙るとはもってのほかである。 本当の神様が可哀想である。 本当の神様は万人に「平和」をこそ望んでおられるはずだ、と思う。

自然科学が進歩し、大自然のからくりの偉大さが理解されてくると、自ずとそこに「神」の存在を感じることが出来る。
大自然は美しい。 そこにこそ本当の神の姿がある。 神のもとに還るとは、自然に還ることである。
  
                                    
                           

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2006.09.07

凍結精子

凍結精子

自分の主人のれっきとした、凍結精子を用いて、正常に子供が生まれてきたというのに、最高裁は、その子の認知を拒絶した。 何というアナコロニズムであろう。 
判事の中には、現行の法規のアナコロニズムを指摘し、新たな法律の作成を指摘する声もあったが、目下の問題の解決策は提示していない。 問題の子供は、日夜、成長し、人格を備えていくというのに、法廷はそれを見殺しにするというのであろうか?!

法が時代遅れであり、不備であるならば、時代にあった法の運用を図り、また時代にあった法を創り、それに基づいて裁定してもらわねば、現代に住む我々はたまったものではない。 
遺伝子科学は進み、体外受精、不妊治療技術は既に確立された時代となっている。 法を創る人、法を運用する人は、もっと、現在の社会の実態を知る努力をするべきではないか。

古い法でよしとするものは、聖徳太子の「和をもって貴しと成す」だけでよい。

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2006.09.06

親王様御誕生

紀子様に、全国民待望の、男子が御誕生になられた。 今朝のテレビニュースは、まさに感動的でさえあった。 皇室はもとより、日本の全国民、歓喜と安堵の気持ちでいっぱいである。 誠におめでとうございます。

皇室にとっても、日本にとっても、親王様の御誕生は、久しぶりのことであり、これで、世の中が明るくなっていくようにさえ感じるから不思議だ。 実際、明るくなっていく、これからを期待したい。 
おめでとう! おめでとう!

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