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2006.04.30

七重八重花は咲けども山吹の

七重八重花は咲けども山吹の

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京都洛西に鎮座まします松尾大社は、京都最古の神社であり、また、お酒の神様として有名である。 私めは、お酒が飲めないので、御無沙汰していることが多いが、この時期、境内の山吹の花が素晴らしいとのことで、出掛けてみた。

古事記によると、松尾大社の祭神は大山咋神(おおやまくいの神)ということで、あまり聞いたことがない神様であるが、比叡山にも関係があるらしい。

「大山咋神またの名は山末之大主神、此神は近淡海国の日枝山に座し、また葛野の松尾に座す鳴鏑を用ふる神なり」

Matsuotaisya

この日、29日、境内の山吹は、流石に美しかった。 神様に御挨拶してから、何枚かの写真を撮った。  同じように、遠くから来ているカメラマンが多かった。

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(写真はクリックして拡大して見てください)

山吹の花と聞くと、

七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだに無きぞ悲しき

の、太田道灌の故事が思い出される。 故事とは云え当時の、農家の少女の、教養の高さに羨望さえ感じる。

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2006.04.22

つつじの頃

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(写真は何れもクリックすれば、拡大されます)

浩然の気を養うべく、いつもの、宝ヶ池コースを歩く。 数日間、間があいたが、その間、自然はすっかりその様相を変えていた。 エキサイティングになっていた。 桜は葉桜となり、何よりも、湖畔の路に沿っての、山ツツジの競艶が素晴らしいのだ。

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 山肌の、何か恥ずかしそうにさえ見える、木立の若い新鮮葉群、その色のバリエーションが僕は好きだ。 そんな林間から、またウグイスの、タニワタリの囀声が聞こえてくるのだ。 

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一歩歩けば、情景が変わり、一歩歩めば、新鮮な感動がある。 この日のウオークは2時間、10,000歩であった。  

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2006.04.15

エンディング

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エンディング

先日の、富山県射水市民病院での「安楽死」問題から、ここに来て、人生のエンディングのあり方についての議論が盛んである。

思えば、我々シニアー世代は、子供の頃から、「お国のために死ぬ」ことを潔ぎよしとして育ってきた。 そして今、シニアー世代となって、「年寄りは 死んでください 国のため」と言われていることを知っている。

現実に、身内の中に、また友人の中に、脳死状態或いは植物人間状態にありながら、延命治療を受けている患者の姿を見るとき、私は、ああいう形では、生きながらいたくないと思う。 私自身は、事前に「延命治療拒否書」を作成し、身近な人達にも、このことは伝達している。

思うに、我が国の危機的財政状態を、引き起こしている要因の一つに、老人医療、老人福祉への過重負担がある。 本人が死にたいと願っているのに、末期ガン患者への無駄な検査や投薬、、本人は無意識なのに徒に延命治療処理を行うことの無駄、これらは御本人のQOLを考えても、中止すべきである。 

今丁度、桜花爛漫の季節。 人は皆死ぬのだから、同じ死ぬなら、桜の花のように美しく散りたい。 認知症になった、哀れな姿を見せながらの死ほど、情けないものはない。 死にきれないで徒に老躯を曝し、家族に無駄な経費をかけさせることは、決して御本人も望まれていることではないであろう。

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ (細川ガラシャ)

御本人や家族が納得し、別れの挨拶をしながら、尊厳死(安楽死)として、散っていく。 そのことが又、家族のため、お国のためになるのだったら、御本人も納得されることであろう。 愛する国、愛する者のために死ぬこと、これほど美しいことはない。

現実には、尊厳死(安楽死)を認める「法」をこそ、早急に確立すべきである。 ノンフィクション作家のクライン孝子女史によると、ヨーロッパでは既に、オランダが2001年に、ベルギーが2003年に事実上安楽死を認める法律を制定しているとのことである。 また、スイスでは、既に60年余り前から安楽死は合法化されてきているという(産経新聞 4月12日版)。 蓋し、人間の権利の一つとしての、「死ぬ権利」の崇高さを自覚しているからであろう        

勿論、ことは人間一人の死に関することだから、法的には厳格な条件の吟味が必要である。 また、我が国には我が国の、文化的背景、死生観がある。 それらを考慮した上で、尊厳死(安楽死)法に関する、積極的な論議をお願いしたいと思う。

文末になったが、ネーダーコールン 靖子さんのことを紹介しておきたい。
ネーダーコールン 靖子さんは、ガンのため、オランダで、安楽死された。 1997年9月のことである。 アムステルフェーンの自宅で、愛する家族に見送られながらの、安らかな死であった。 ネーダーコールン 靖子さんは、長い間、朝日歌壇の常連で、私もこの人の和歌が好きだった。 
安楽死の2ヶ月前に詠んだ、彼女の短歌がある。

 何を流して欲しいかと息子の吾に聞く 音楽のことらし吾が葬送の 

ネーダーコールン 靖子さんのことは、「オランダはみどり」という書籍として出版されている。 (ながらみ書房、2000年9月) 素晴らしい短歌の数々と共に、天女となった靖子さんへの追想文は、涙なくしては、読めない好著である。

吾が裡に裁ちたき布あり還るべき 故のなければ天の羽衣

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2006.04.13

花の寺

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花の寺

桜花爛漫の京都、とりわけ京都の有名寺院の花、テレビを始め、多くのmediaで紹介され、今年も観光客でイッパイである。 有名寺院、何が有名かというと、大抵の場合はその庭園である。 庭が美しい。 春はその庭の桜が美しい。 観光客は、ガイドブックを見て、或いはインフォメーションのお薦めに従って、庭園の桜を見に行く。 新幹線や飛行便を利用して、わざわざ京都まで来たのだから、有名寺院の桜、その美を見たいと思う。 

京都市山科区にある、かの太閤秀吉の、醍醐の桜で有名な醍醐寺、ここも花見の客達で超満員である。 寺に入るには入山料が要る。 桜も紅葉もないときは、入山料は要らない。 寺の敷地内のあちこちに、立派な、素晴らしい桜、とりわけしだれ桜が咲いている。 寺は敷地を3カ所に分けて、それぞれの入り口で又、拝観料を取る。 醍醐寺の場合は、3カ所に別れている。 拝観料は500円だから、全部を見て回るためには、1,500円が必要である。

他の有名寺院でも、この時期、普段は500円の入山料(拝観料)を、何故かしら、600円さらには何故かしら、800円に値上げしているところがある。 例えば航空機なら座席数が限られているから、人出の多い時期に、値上げされることは理解できる。 が、有名寺院の敷地に入るのに、航空機の理屈を真似ることは、我々には理解しがたい。 普通の常識では、観光客が多いのであれば、値下げするのが当たり前ではないだろうか。 値上げは、寺院のコマーシャリズムとしか考えがたい、と、思う。

更に理解しがたいことは、これらの拝観料には、税金がかからない、と言う理屈である。 現実に、1日に、何百人、何千人、或いは何万人の「観光客」があるのに、従って、それ相応の莫大な収入があるのに、これらに対しては、課税がないと言うことは、私には理解しがたいことである。 
嘗て、京都市が、寺院の収入に対して、「観光税」を提議したとき、京都の有名寺院は、”えげつない” 或いは ”はしたない”ほどの行為にでて、これを潰してしまった。 そこには、寺院のコマーシャリズムだけが露出しており、崇高な宗教の姿の片鱗も感じられなかった。

更に更に不可思議なことには、このような状況を把握しながら、国会議員の誰一人として、宗教に対する課税についての提議をしないことである。 政治のことだから、裏に何かあるのだろうけれど、やれ医療だ、年金だ、赤字国債だと、国家の財政が危機に瀕している現状を、周知しているはずの議員の誰一人として、このことに触れないのは、まさに不可思議である。 いわゆる「観光税」について、京都市というローカルな視点からでなく、これは国家レベルの観点から、この際タブー視せずに、積極的論議をなすべき時ではないだろうか?!  

こんなことを言う私は、「地獄に墜ちる」かも知れない、が、地獄か極楽かを決めるのは、閻魔さんである。 その時私は、閻魔様に真面目に訴えて、真面目な御判断をお聞きしたいものと、思っている。

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2006.04.08

4月8日

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(写真は神戸花鳥園のスイレンプールにて撮影)

  今日、4月8日は、私の第2回心臓弁置換手術の、満18周年記念日である。 松江日赤の松田部長(当時)の御執刀により、僧坊弁置換の大手術が行われたのである。 出血が止まらず、手術は難行をを極め、 16時間にも及んという。 病院に待機していてくれた父や妻は、一時、臨終を覚悟したらしい、ということを、後になって聞いた。 
心配かけた、今は亡き父や、そして今なお援護してくれている妻には、感謝しなければならない。

そんなこともあって、朝、氏神の鷺森神社にも、お礼の参拝に出掛けた。 2日見ない間に、参道の桜は咲きそろい、境内のしだれ桜は満開であった。 が、ここは参道も境内も、静謐であった。 美しい雰囲気であった。

Sandou

Shidare 

その後、mediaの言う「哲学の道」に出掛けた。 ここの桜も満開であった。 そして、「道」は観光客で満員であった。 この雰囲気では、とても、「哲学」は無理である。
が、どこまでも平和で底抜けに賑やかであった。 多くの人達が写真を撮るのと同じ場所で、同じアングルで私も写真を撮った。

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Yukiyanagi

Sukecchi
 

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2006.04.04

梅と桜

4月4日、春霞のこの日、宝ヶ池公園を歩いてきた。 梅園の梅は満開で、辺り一面にその芳香が漂っていて、思わず、深呼吸をした。 何かしら得をした感じだ。

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池の周りの桜はまだ一分咲きの状態だが、広場に出るとそこのしだれ桜だけは、見頃であった。 次の日曜日、町内親睦会の花見がある。 その頃、人出も多いことだろう。

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