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2005.12.26

死に方始め

男たちの大和 を見た。
あの映画の真の良さは、あの時代に生きた人達にしか解らない、かも知れない。
が、本当にいい映画だった。

流れ行く画面のなかで、「死に方 始め」があった。 特攻出撃に出た大和の甲板上で、上官が少年兵達を集め、「それぞれ故郷に向かって、思いのほどを大声で叫べ、泣いてもよい、大いに泣け」と命令する場面である。 

大阪陸幼に在籍していたとき、運動場の向こうの林の中に、「報国神社」があった。 そのとなりに近く、遙拝所があって、そこで、毎朝、軍人勅諭を奉読したのだが、遙拝所の石版には、それぞれの故郷の方角が書き込まれていた。 東の方角、宮城に向かって、そして北の方角、吾が故郷、京都に向かって、敬礼したものだった。 

あの様な気持ち、 あの様な精神は、今の若者達には到底解らないだろう。 
あの様な精神を体験できた我々の世代は、ある意味で、幸せなのかも知れない、少なくとも貴重な体験だった、と思う。

男たちの大和 は いい映画である。 必見をお薦めする。 

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2005.12.22

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灰色の空から白い 白い雪が降ってくる
それぞれに気ままに
あちらに流れ  こちらに流れて
降ってくる

その一つ一つはまるで 命があるかのように
私に囁きかけてくる
あなたは何時までそこに
そうしているのですか?
あなたも私のように
広い空の下で遊んでみませんか?

同じ囁きを子供の頃 聞いたことがある 
軒下で空を見上げながら 大きく口を開けて 
降ってくる雪を 追いかけていたっけ

雪は思い出である
雪の思い出は美しい

雪降り 僕はだから 雪降りが好きだ

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2005.12.14

残像

修学院の残像

毎年この時期になると、宮内庁に申し込んで、幸運にも当選し、修学院離宮を参観する人達が、この正門前に多数集まってくる。 門前から見る「下の離宮」の紅葉が美しい。

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当選できなかった人達は、離宮の周辺を歩く。 近くの農道から見遥かす、離宮の山が美しい。

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離宮の近くに、名刹、曼殊院がある。 ここにも参観の人達が多く、その紅葉に感嘆の声が絶えない。

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実は、余り誰にも知られていない秘境が、曼殊院の近くにある。 音羽川を遡った所にある、静かな、小さな公園である。 一度、訪ねられるとよい。

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豪雪は困るが、少しなら、雪景色も佳いものである。 12月18日、京都洛北に、10cmほどの積雪があった。 雪の宝ヶ池を歩いてきた。 雪見ウオークである。 

雪の景色は、直ぐに消えてゆくから、美しいのかも知れないが。

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いつも撮る景色だが、雪の比叡山がよい。

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この日宝ヶ池の一部は氷結していた。 珍しい風景である。

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木立の中の宝ヶ池もよい。

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白馬の姿を見つけた。

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雪の花が満開である。

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林の中に、人がまだ通ってない雪道が続いている。 奥の方まで行ってみたくなる。

 

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2005.12.07

滑空部

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滑空部

「愛機南へ飛ぶ」という映画があったことを、皆さん方は、ご記憶であろうか? それは大東亜戦争が始まって間もない頃、当時小学生だった、私達が、小学校から学年全員で見に行った映画であった。 この映画の目的から云って、当然ながら、映画を見終わった後、小学生の私は、感激し興奮した。 「愛機」に乗る人生を、その時私は夢見たのだった。

当時、グライダーのことは滑空機と云い、グライダー部のことを、滑空部と称した。

昭和19年、私が京都一中に入学したとき、運動場で一中の滑空部がデモンストレーションを行っていた。 それを見たとたん、私は、その部長の所に走っていき、入部を頼み込んだ。 入部は許された。

一年生からの入部者は私の他にも十名近くいた。 当時、一中の滑空部はプライマリー級のグライダーを3機も保有していた。 常時、機は翼や胴体に分解され保存されていた。 部では、教官(吉川音次郎師)や上級生からの躾教育があり、指導があり、訓練があった。  が、教官からも先輩からも、鉄拳制裁的なことは全くなかった。 訓練の折り、上級生の指導の下に、機を組み立てる。 この工程には、厳重なしきたりがあった。 しっかりしっかり組み立てねばならないのだ。

いよいよ訓練飛行となる。 飛行と言っても、グランドはそんなに広くないから、通常は、地上滑走訓練である。 当番の一人が、機の後部で、機を支える。 一年生と二年生達は、均等に左右に分かれて、機の頭部にかけたワイヤーを取り、均等な(ここが重要なポイント)歩幅で、「一,二,一,二」と、かけ声をかけながら、ワイヤーを引っ張り前進する。 所定の距離に達すると、上級生監督から、号令がかかり、前進を止める。 次の号令で、当番が機の後部の支柱を離す。 機は勢いよく飛び出し、ダダダッと地上滑走する。 壮快である。

晴天の折りには、毎週のように、放課後この訓練があり、私達は訓練を楽しんだ。 半年近く経ってから、我々一年生にも操縦桿を握ることが許された。 あの時の嬉しさ、感激は今も胸の奥に残っている。 

地上滑走するには操縦桿を前に押しつけておかねばならない。 少しでも後ろに引くと、機は浮かび上がるからだ。 それを知りながら、私は、ある訓練の一日、少しだけ操縦桿を後ろに引いた。 案の定、機は2メートルほど舞い上がった。 ワイヤーを引っ張ていた連中が、唖然と見上げているのが見えた。 牽引力が弱いから機は飛行はしない。 上昇して直ぐに着陸となる。 初めての試みだったが、何とか、無事に、機は着陸できた。 

本来なら、上級生監督から、コッピドク叱られる行為だったが、機も私も無事だったので、許していただいたのだった。 同級生達からは、むしろ、羨望された「突発的事件」となったのだった。 61年前、京都一中の滑空部は素晴らしい部であった。 

今日も空は蒼い。 が、終戦と共に、京都一中滑空部は永久に消え去ってしまった。
 

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