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2005.08.29

祭り

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祭り

我が町、山端には、恒例の夏祭りがある。 今年で20回目となる。 「第20回山端夏祭り」が、晴天にも恵まれ、山端公園にてこの28日、催行された。 これには、地区の各種団体が協力し、店を出し、ゲームコーナーを作り、ライブの歌唱があり、映画があり、和太鼓ショーがあり、ビンゴゲームがある。 地元、手作りのサマーフェスチバルである。

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行水を済ませた子供達が、浴衣姿で、参加する。 爺さん、婆さん、親子連れ、ファミリー全員が、集まってくる。 普段は、キジバトしかいない公園が、人人人、老若男女であふれる。 隣接する京大国際交流会館から、珍しそうに、外人達も参加してくるので、今や国際的祭りとなっている。
本部で、一枚100円の食券を販売するのであるが、定刻5時、祭りが始まると、ここには、長蛇の列が出来る。 各種団体、例えば年輪クラブ、女性会、小学校PTA、中学校PTA、消防団、体育会、自治会、などなどがそれぞれに、ゲームコーナーを作り、前日から用意してきた食品を提供し、また現場で、即席に食品を調理して、販売している。

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年輪クラブに属する私は、同僚と、冷めたーい缶ビールを販売するのだ。 おつまみ付きで、缶ビール一個、300円である。 じっくり考えると、市価より安くはないが、ここでは、飛ぶように売れて、会の終わり頃には、完売御礼となる。 あんな物は、考えて喫むものではなく、雰囲気で喫むものである。 
隣のPTAが販売している「かき氷」もいつも子供達が並んでいる。 氷をかく人は実際大変だ。 一番売れるのは、「ブルーハワイ」だそうだ。

女性会による「おでん」、これは安くて美味い。 たこ焼き、焼きそば、天ぷらうどん、いつも列が出来ている。 調理する人は大変だ。 甘党用には、冷餡ころ餅がある。 みんな安くて美味しいが、とても全部食べ歩くわけにはゆかない。 

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今年初めて、年輪クラブで始めた、スカイクロスのディスクを使っての、輪投げは子供達に好評であった。「来年もやってね」と、子供が云ってくれるのは嬉しい。
納涼ビンゴゲーム、券は一枚100円だが、一番最初にビンゴとなると、なんと、自転車が当たる。 だから毎年、人気が高い。 しかし、あのビンゴゲーム、リーチになってからもなかなか、当たらないものだ。 実際、面白くできているゲームで場を盛り上げるにはよい。

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だしものの中で圧巻は、何と云っても、心音「CORON」による和太鼓ショー、陣太鼓の響きである。 これはプロ級である。 女性の山端郵便局長さんが凛とした声で調子をとるのがよい。 聞けば、来週は「愛・地球博」に出演するそうだ。 

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我が町、山端には、多才、多芸、そして何よりも、我が町を愛する公益心に富む人、博愛の人が多いのだ。 
定刻、9時に終了し、ここから、役員一同、一斉に後かたづけとなる。 みんな協力的で、手際よい。 素晴らしい祭りであった。

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2005.08.15

3回殴られたら・・・、

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8月15日、今日は、戦後60年目の終戦記念日である。 我々の世代ならば、この日には、特別の思いがあるはずである。 日本歴史上、全く初めての敗戦という処女体験に、奇しくも出会した我々は、何らかの発言をすべきであろう。

所で、我々が小学生の頃、仲間通しでの喧嘩、ドツいたり(殴り)、蹴ったり、取っ組み合ったり、する事は、日常のことであって、それは子供の世界でのプレイであった。 喧嘩によって、子供仲間に連帯感が生まれてくるものであった。 

うちの両親からは、しかし、「たとえドツかれても、3回までは、辛抱せよ、」との戒めがあった。  しかし、「3回殴られたら、男なら、今度は殴り返せ」と、教えられた。 大抵はしかし、それを知ってか知らずか、ドツキは2度くらいで終わり、喧嘩にならなかった。 子供同士の喧嘩、殴っても殴られても、実際には、アッケラカンとした陽気なものだった。

当時、日本は、ABCD包囲陣によって、喧嘩(経済制裁)を売られていた。 Aはアメリカ、Bはイギリス、Cは支那、Dはオランダである。 これは日本経済には堪えたらしい。 喧嘩なら、2度殴られた感じである。 加えて、さんざん、しつこく難癖をつけられて、日本は、とうとう、自衛のために、殴り返したのだった。

実際、大東亜戦争の開戦の大詔には、陛下は、開戦することに対して、「アニ朕が志ナランヤ」とされている。 しかし、「帝国ノ真意(白人支配からの植民地の解放)ヲ解セズ、ミダリニ事ヲ構ヘテ、東亜ノ平和ヲ攪乱シ」た 支那に対して、また、「平和ノ美名ニカクレテ東洋制覇ノ非望ヲタクマシウセムトス」とした米英蘭に宣戦布告したのだった。 と、私は思っている。

いずれにせよ、「戦陣に散り、戦禍に倒れた」英霊に対しては、今、心からの追悼の意を表したい。   合掌。

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(靖国の神前にて  本宮三香 作 「九段桜」を奉吟する)

 至誠烈々貫乾坤 忠勇誉高靖国門

 花満九壇春若海 香雲深処祭英魂

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2005.08.04

アイーダ

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誕生日の記念にと、初めて、京都劇場に足を運び、「アイーダ」を観てきた。 
観客は若い女性が多かったが、 中高年も、ちらほら見られた。 2時間半の上演中、感激し、感動し、圧倒され続けた。 その熱演に、二度三度ならず、涙を拭った。
 
カーテンコールが終わり、場内が明るくなってからも、隣席の女性は、何時までも席を立たず、その場で何度も、嗚咽し涙を拭っているのだった。 

これまでの人生の中で、アイーダの愛に似た思い出があったのかもしれない。 
美しい風景であった。
                          (2005.08.03)

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2005.08.01

終戦の八月

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今年も八月が来た。 八月、特に今年の八月は、終戦後60年目の八月である。 60年前のこの月は、日本史、いや世界史に残る月となった。 

国際的な不可侵条約を、軽々に破って、ソ連が来襲した。 

人類史上、あってはならない原爆が、2度までも我が国に投下された。 

これらの不法は、しかしながら、国際法廷で裁かれることはなかった。 

戦争をしたなら、何をしても、先ずは、「勝たねばならない」ということを我々は学んだのだった。 

最近の国連を見ていると、戦勝国のみからなる安保理の詭弁は、笑止である。 そこには憲章に唱われている良識の一片もない。 

60年前、私は少年兵であった。 アジアの植民地を白人から解放し、大東亜共栄圏の設立を夢としていた。 国は破れ、夢は破れたかのようだが、目的は達せられている。 世界の植民地の多くは独立を果たした。 それで良いのだ。                                                                              

私が少年兵の頃、故郷の母との間で、頻繁に書簡の往復があった。 私的なものだが、その頃の、つまり60年前の、時代背景、日本人の心情が判るのでここで公開しようと思う。実は、和文版は既に公開されている。
メロー伝承館→実録・個人の昭和史→母との往復書簡(ほのぼの)
http://kousei.s40.xrea.com/xoops/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=469&forum=13

今回、この往復書簡文が「国連情報社会世界サミット」に出場(?)する事になった。 ので、それの全文を娘のmegumuに翻訳してもらった。 その英文版をファイルとして、記載する。 ので、関心の有る方は、ファイルを開いて御笑覧下さい。

上の写真は61年前、京一中一年一組の級友達による寄せ書きである。

「exchanged_letters3.doc」をダウンロード

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(大阪陸軍幼年学校第四十九期第十一學班)

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   (昭和二十年七月三十日のハガキ)

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