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2005.07.18

海の日

uminohi

     (写真は奄美大島の海です)

海の日

朝起きて神仏に礼拝し、ミニミニコースのいつもの散歩をしてから、今朝は、山端女性会による「古紙回収」の日というので、古新聞や、段ボール紙を折り畳んで、供出した。 今日も天気は好いというので、早速に二人して、大洗濯物でベランダを満艦飾とし、朝食となる。 
朝食を終えてから、新聞を読み出すと、もうそれだけで、また、眠くなってくる。 思えば、亡父もよく、コックリコックリしてたっけ。 これを、老衰と言うべけんや、という感じである。 
ところで、今日は「海の日」であるという。 何故今日が、わざわざ「海の日」なのか、理由が判らない。 早速にパソコンで調べてみる。 N-FMELLOWの「今日の思い出話し」 ひげの爺さんのコメントよると、

◇ ハッピーマンデー 海の日 
1876年(明治9年)7月20日、明治天皇が東北
ご巡幸の帰途、灯台視察船「明治丸」で青森から横浜にご安着された日に由来してこの日を「海の記念日」に制定されていました。 平成7年に「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」と言う主旨で「海の日」の復活が制定されました。再度、平成15年の法改正で、7月の第3月曜日に変更しハッピーマンデーとなりました。

ということである。 が、私には、ピンと来ない。 我々 老衰族としては、同じ「海の日」を決めるなら、もっと世界的に、歴史的に由緒のある、例えば、昔の海軍記念日、5月27日をこそ、海の日にして欲しいと思う。 明治の日本を救った英霊に対しての慰霊にもなるし、第一 国際的に 説明がし易いのではないか、と思う。

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         (奄美大島での夕焼け)

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2005.07.08

銃後

銃後

銃後と言う言葉を聞かなくなってから久しい。
日本は戦争をしないのだから、確かに、この銃後と言う言葉はもう死語だろう。
銃後という言葉が、盛んに使われていた60数年前、私なんかはまだ子供だったから、それほど深刻に思っていなかったが、この7日以降、如実に深刻に銃後の国民の気持ちを味わった。

娘のmegumuが、ちょうどイギリスに渡航したその翌日、ロンドンであのテロ事件が起こったのだった。 どうもmegumuが宿泊しているホテルのごく近傍で、バスが爆破されたらしい。

テレビでは、生々しい情景が、そして、痛ましい死者、負傷者の搬送される情景が、何度も何度も放映されてくる。 電話もインターネットもロンドンからは繋がらないらしい。
もしやもしやの気持ちで、OEの電子メールを開けるが、「新規メールはありません」ばかりである。 テレビニュースで、「何時現在、日本人被害者の名前は見つかってない」と云うのを聞いて、少しはホットするが、まだまだ判らない不安が高まる。

戦争中の銃後の国民、出征兵士を出していた家庭では、毎日がこんな気持ちだったんだろうなと、つくづく納得した次第である。 ただひたすらに、神様、仏様に「武運長久」を祈るしかないのだ。

私も、今朝、父母の墓前に、そして鷺森の氏神に、megumuの安全を祈り願ってきたのだった。
そして、今日その夕方、当のmegumuから、国際電話が入り、無事で居るとの元気な声を聞くことが出来たのだった。 本当に、嬉しく有り難かった。

「銃後」は矢張り、無い方がいい。

(2005.07.08) 
                                                                           

                                              

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2005.07.05

乗鞍岳お花畑

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乗鞍岳お花畑

梅雨の最中、日本中水浸しの日、7月2日に、信州の乗鞍に出かけた。 当日の当初、乗鞍スカイラインは悪天候のため、通行禁止だとの情報が入っていた。 が、我々一行が信州に近づくにつれ、内地の中で、信州地方だけが晴れ上がってきた。 実際、京都から、スカイライン入り口に到着する直前、「頂上は晴れ」と、通行禁止は解除されたのだった。
元来、ほのぼのさんは、お天気男なのである。

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乗鞍スカイラインはマイカーは進入禁止である。 観光バスだけしか入れない。 まさに文字通りのヘヤピンカーブの道をゆっくりゆっくり上がって行くにつれて、残雪の間の、ダケカンバの新緑が、瑞々しく清潔で、嬉しかった。

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 バスが更に標高を稼ぐと、植生は榛松だけになる。 残雪と榛松とのコントラストに乗客の歓声が挙がる。 やがてバスは乗鞍岳畳平(2,702M)に到着する

boku 

畳平の乗鞍岳の標柱の所に立つ。 ここは、もう30年も前か、我が父と母が二人並んで記念写真を撮ったところでもあるのだ。 家に飾られていた、あの写真を見たときから、いつか私も行かねばならぬと、思っていたのだった。 写真の背景には、コロナ観測所の建物がある。

flowerroad1

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今日のツアーの目的の一つ、乗鞍のお花畑を散策する。 よく整備された木道である。 お花畑には入るな、と云うことでもある。 熱心にスケッチしている人がいる。 こんな人を見ると、ボクは何故か憧憬を感じるのだ。 花の名前を教えてもらった。

skech

ハクサンイチゲの白い群落がある。 まだ小さいが、クロユリがある。 イワカガミがある。 ミヤマキンポウゲ、ショウジョウバカマもあった。 皆さんは、どれがどれだかお判りになりますか?

gunraku

kuroyuri

iwakagami

kinpouge

syoujyoubakama 

畳平の郵便局は、この日、土曜日の午後だったけれど開局していた。 記念切手を買い、自分宛に、「吾 来たり、見たり、立てり」と、書いてポストに投函した。 好い記念になる。
少し高台に登った。 道はよく整備されている。 榛松が美しい。 魔王岳の直下に美しく、神秘的な池があるのを発見した。 引き込まれそうな美しさである。

haematsu

midoriike

帰途につく頃、青空が見え、雲間から、北アルプスが顔を見せ、我々を見送ってくれたのだった。 嬉しかった。 この日、思いがけず、ラッキーな嬉しい旅であった。
旅はよい。 常に新しい発見があり、感動があり、思い出が残るからだ。

alps

(写真は何れもクリックして、大きくしてみて下さい)

                  (2005.07.02)

                                                                        

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2005.07.01

PAX

pax 

PAX

ちょうど10年前の今頃、イタリアをツアー旅行したことがある。 当時、塩野七生女史の「ローマ人の物語」に埋没していた時期でもあり、イタリア、そしてローマは実にエキサイティングだった。 それらの中で、自由時間に、地図を見ながら、歩きに歩いて、フォロロマーノを探し当て、隈無く見学できたのは、最高によかった、懐かしく佳い思い出である。 
10年前のこの時、フォロロマーノへの入場料は、一人あたり、12,000リラだった。 今なら何ユーロなのだろう。

ローマから北上して、水の都ベネティアへ行く途中、キリストによる奇蹟の都市、アッシジに立ち寄った。 聖フランチェスコが創立したという聖堂には、二人の日本人修道僧がおられた。 この聖堂の前の芝生には、PAX(平和)の植え込みがあった(上記 写真)。 聖フランチェスコの、日常の挨拶の言葉だった、と言うことである。 

2000年の昔から、人々は常に、PAXを祈り続けているのに、何故にこの人間世界では、 PAX は成就出来ないのだろう。 

神様達も呆れておられることだろう。

下はトスカーナの平原より見上げるアッシジの街(世界遺産)です。

「assiji.html」をダウンロード

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