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2005.05.25

妻籠と馬籠

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妻籠(つまご)と馬籠(まごめ)

5月22日、23日、小生、70年来の念願であった、中山道の妻籠、馬籠街道の逍遙を楽しむことが出来た。 冒頭の写真は五月雨に煙る信州の山です。

1日目は、五月雨に煙る木曽川沿いの景観と妻籠街道、2日目は、澄み渡った五月晴れの下の馬籠街道と恵那山、共に京都では味わえない素晴らしい風情であった。

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写真は五月晴れのもとの恵那山の風格です。 

吾が朋友、桐井氏はこの麓の出身である。

Fメローの東海支部が企画したオフの会に、関西支部の私ら二人が参加させていただいた訳である。 関東地区からの3名、関西地区から4名を加えて、全部で23名のオフ会であった。

妻籠街道を散策するときになって、ほんのりと五月雨が降り出してきて、中山道の情緒を一段と醸してくれた。 街道筋にはこの日も観光客が多く、それぞれに、街道筋の史跡を訪ね、おみやげ店を冷やかしていた。

この日本の古い情緒を知りたいのか、外国からの観光客も結構多く、この道、今はまさに国際街道でもある。

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写真は、妻籠宿本陣、参勤交代のお大名の宿営地である。 本陣の家屋は昔ながらであるが、外庭に設けられていたトイレは、超近代的(国際的)な設備で、かえって驚かされたものである。

下の写真3葉は、この日の妻籠街道の雰囲気、写真は、昔ながらの店の雰囲気を残していてくれる。 我々シニアーには、懐かしい。 

街道筋のおみやげ店で、 「老木」 と言う名の 栗入り羊羹が売られている。                「ふる里に 栗の実一つ 木曽古道」                    私めも買って帰ったが、これは実際美味しく、お薦めものである。

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2日目は、前夜の雨も上がって、気は一段と澄み、快晴の馬籠街道を歩くこととなった

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妻籠街道には、昔ながらの郵便屋さんが、実際に集配されていて、皆さんに大もてであった(写真上)。 馬籠街道にはお茶屋が多い。 道は整備されているが、坂道で勾配も結構キツイので、一服したくなるのだろう。

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街道筋に白い大きな房の紫陽花があった。 みなで、「まごめあじさい」と名付けることにした。        呵々大笑。

この日、馬篭から見る、恵那山が美しかった。

また、この街道筋に島崎藤村の旧家がある。 火災にあったとのことで、建物そのものは一部しか残ってないが、その記念館で、中学校時代に習った、「若菜集」の原稿を見たときは懐かしく感激した。

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こゝろなきうたのしらべは
ひとふさのぶだうのごとし
なさけあるてにもつまれて
あたゝかきさけとなるらむ
 
ぷだうだなふかくかゝれる
むらさきのそれにあらねど
こゝろあるひとのなさけに
かげにおくふさのみつよつ
 
そはうたのわかきゆゑなり
あぢはひもいろもあさくて
おほかたはかみてすつべき
うたゝねのゆめのそらごと         (藤村)

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馬籠街道の「まごめや」で、馬籠のそばを食べた。 これは、美味かった。 そばを食べている、そばで、

 ♪♪ 信州馬篭のそばでもいいが 

     わたしゃあんたのそばがいい ♪♪

と、口ずさむ人が居た。 楽しい旅であった。

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最後の写真は、一日目に訪れた 柿其渓谷でのスナップです。 

ごちそうさまでした。

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2005.05.21

晴耕雨読と酔生夢死

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晴耕雨読と酔生夢死

人に誇れるほどではないが、私は、読書は好きな方である。 最近は、とりわけ、司馬遼太郎や、塩野七生の歴史物が多い。 これらの人達の「人間の歴史」を読んでみると、人間たるもの、有史以前から、今まで、していることの愚かさは、何も変わってないことがよく解る。 繰り返しばかりである。 この愚かさ、多分、これからも、変わらないだろう。

有史以前と変わっていることは、この地球上に於ける、人口の大増加である。 将来予想は、悲劇的でさえある。 従って、多分、これからの人類史もまた、悲しいかな、悲劇的だろうと思う。 と、云って、今の私に何が出来るというのだろう。 これを思うと、また、悲しくなるのだが。

今日も司馬遼太郎を読んでいたのだが、しばらくすると、テキメンに眠くなって、居眠りタイムになってしまった。 コーヒーを飲んで、また、読み始めたが、また、居眠りが出てしまった。

 
文章は面白いのに、この生理現象、年令の所為だと云ってしまえば、先ずは正解だろう。 もう定年して、10年以上になるから、確かに、年齢であることには間違いないが、思えば勿体ないことである。 何が勿体ないかというと、とにかく、自分に残されている時間が、もう少ないではないか。

「四字熟語」の本の中に、「晴耕雨読」の解説がある。 昔から、「定年」後の余生の一つのあり方である。 これはこれでよいだろう。 が、この本では面白いことに、晴耕雨読の言葉の隣には、「酔生夢死」と言う熟語が並んでいる。 この言葉、私は、陸軍幼年学校の授業で習った、懐かしい言葉である。 怠惰を戒める言葉である。

本を読まんとして、則ち、居眠る、これ、酔生夢死にあらずや。
今日は、自戒の日であった。
 

「ただ閑人の生産もなくてあらば、泰山もやがて喫(くい)つくすべし。 江海もつひに飲ほすべし」    上田秋成 「雨月物語 巻五 貧福論」

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2005.05.04

京都トレイル探鳥記

京都トレイル探鳥記

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5月3日、再び、比叡山頂上駅より京都一周トレイルに沿って、山を下る。 今日は殊の外、見晴らしが良い。 山頂から、修学院、山端の我が家が見えた。 それ、あそこに見えますでしょう?!

(写真はダブルクリックすると大きくなります)

山頂デジタルタワーの所から、眼下に真っ白な広い林道が見下ろせる。 あれはどの辺りだろうか、興味がある。

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今日も一人、探鳥ウオークを楽しむのだ。 デジタルタワーのところで、耳を澄ませていたら、何と、遙かに、ツツドリの鳴き声が聞こえてきた。 今日は最初から調子がよい。
そのほかの、午前10時の観察結果。 ハシブトカラス、ハシボソカラス、ヤブサメ、ウグイス、シジュウガラ、ホホジロ ツツドリ。

10時15分、トレイル74から、下りにかかる。 新緑のいい道である。 登ってくる人も多い。 お互い、「こんにちは、御苦労様です」と、挨拶するのがまた佳い。
やがて杉林にはいる。 例の千種卿の碑がある。 今日も、敬意を表しに立ち寄る。 ヒガラが鳴いている。 
10時48分、トレイル71,ヒヨ、シジュウガラが賑やかである。

すっかり鮮緑になった、この山道をゆっくり、深呼吸しながら下る、この年になって、こんな楽しみが味わえるとは、幸せである。 11時15分、例の展望台に着く。 
先日の山肌の色彩と、今日の色彩、一変している。 どちらも佳い。

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この時、何と、直ぐ傍の樹間で、高らかに、クロツグミが囀鳴しだした。 素晴らしい囀り、今日の佳き日を寿ぐがごとき囀りである。 ずーと聞き惚れていた。 が、やがて彼、より下の方へと移っていった。 私も再び下る。 

11時25分、水飲対陣之跡に至り、ここより新規に北白川ルートに向かう。 いつも散歩に行く、音羽川の源流がある。 これを渡る。 北白川から登って見える人たちも結構多いので、心強い。 

11時50分、トレイル65,石鳥居の広い道に出た。 何とここが、山頂のデジタルタワーから見下ろせた、あの白い林道であったのだ。 
ここ、下から見上げる比叡山の山肌は、新緑色で輝いていた。 ここで昼餉とする。 ナントも贅沢な雰囲気である。 

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近くでホホジロが、はっきり「源平ツツジ 白ツツジ」と、囀っている。 
一昨日、蹴上げ浄水場でいただいた「水」が美味しい。

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ここで道はまた、三方に分かれるが、北白川ルートを取る。 このトレイル道、広く整備されていて、気持ちがいい。 と、思っていたら、何と、こんなところで、久しぶりに、ミソサザイの素晴らしい囀り、連続を聞くことが出来た。 嬉しくて、一人、喜んでいた。

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12時50分、トレイル64, イカルが鳴いている。 ルートの樹間から、修学院が見える。 1時15分、トレイル59,ここで、瓜生山へのコースに分かれる。 ちょっと食指が動いたが、止めて、正規の北白川コースを進む。 
トレイル57,この辺り、何故か今日は、ハシブトカラスが多い。 が、花崗岩を貫いて、根を伸ばし、生えている松の木に、感動し、エールを送る。

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やがて、大山祇神社に出、1時45分、トレイル56-1、北白川仕伏町に出た。

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この日、その場には、新緑の樹にかかった、紫色の藤の花が、豪華に咲いて私を迎えてくれたのだった。 

ウグイスが囀っている。 

素晴らしい一日であった。 

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